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命ばっかり余っているけど

 あまり自分語りをしすぎるのも問題かもしれないけど、トランジットやサビアンシンボルについてかなり示唆を含んでいる一つの占例みたいなものとして読んでもらえればと思って書いてみるのですが、この話はかなり他人事としてみても自分で引きそうになったり、冷静になると気持ち悪いと感じる人もいると思うので、このブログで他の記事と同じ雰囲気だと思って読むと確実に引くと思うので、それでもいいという人だけ読んでもいいかもしれないです(たぶん風化してきているから書けるけど、でも引く)。

 まず、易林ブログの方でも書いているのですが、一応文学系の大学院の修士卒という感じで(2020/3卒)、この頃の自分ときたら本当にどうかしているというか、何も考えていないというか(今でもさほど変わってないけど)、働くということを理解できていないし、興味もないし、考えたこともないし、やりたい仕事なんて全くないし(当時24歳です)……という状態です。

 ちなみに、この時期って、コロナもそろそろ始まりつつある時期で、大学院時代は興味のあることしか考えないで暮らしていたので仕事のことなど微塵も気にせず、卒業後はニートという展開です。まぁ、どうにかなるでしょと思っていたけど、コロナも始まってきてほとんど仕事もなくなりつつあって、それでもまだどうにかなるでしょと思っていたら、ニートのまま5月になり6月になり……ということで、それでもバイト代の貯蓄が60万くらいあったので、実家でだらだらと暮らしています。

 この頃はまだ占星術を知らないのですが、その時期から今に至るまでの主なトランジット(一部プログレスを含む)の時系列はこんな感じです。(土星以遠の天体の合のみあげています。最後についている数字は合になった回数です)

2020/3/3   n月t土星1
2020/7/24    n月t土星2
2020/12/1    n月t土星3
2020/12/29  nICp月
2021/2/8      n海王星t冥王星1
2021/5/21    n土星t海王星1
2021/7/24    n海王星t冥王星2
2021/8/5      n土星t海王星2
2021/12/15  n海王星t冥王星3
2022/3/14    n土星t海王星3
2022/3/31    n月t冥王星1
2022/5/30    n月t冥王星2
2022/7/24    n海王星p月
2022/10/7    n月p月
2022/11/5    n土星t海王星4
2022/11/23  n天王星p月
2023/1/2      n土星t海王星5
2023/1/23    n月t冥王星3
2023/3/2      n5ハウスp月

自堕落と不安

 一言でいうと、よく生きてたな……という組み合わせなのですが、2020/4~2020/12くらいにn月とt土星がきていて、とにかく鬱々怏々として楽しまず、みたいな時期です。

 まぁ、t木星とn月の合もあったから、大きく潰れてはいないですが。適当に面接受けて全て落ちて(コロナなのでそもそも殆ど募集がない。あと、別段興味もない雰囲気は出ていたと思う)、たぶん15~20ヶ所くらいは応募した気がする。今となっては全く本気で考えてなかったから、まぁいいけど笑。

 この時期に親に云われたのは「目の前のものに飛びつこうとしているお前はバカだ」という言葉で、なんていうかその通りすぎるんだけど、まぁそれを感じるのはまだ先の話。

 ちなみに、良さげな仕事が見つからないときは上田秋成とか幸田露伴とか読んでいた気がする。つまり、全然仕事なんか興味もないし、根はどうでもいいと思っているのが今からみるとわかるけど、当時はそれなりに気にしていたつもりではあったかもね。

 そうしているうちにp月がnICに来ていて、地味に最底時代(の始まり)です。あと、n海王星t冥王星合もオーブが1度以下になっているのですが(ふつうはn海王星t冥王星アスペクトは世代相だけど、月・海王星合なので海王星は月の一部みたいな出方をしていると思う)、海王星は不安のナチュラルルーラーみたいにホラリーでは出てくるので、じわじわと暗い不安に染められながら微妙に小さい部屋の中に居心地の良さ(木星)も感じて、這い出すほどの気力もなく、不摂生(午前4時に寝て11時半に起きるみたいな笑)を重ねつつ、閉じ込められている時期(n月t土星合)です。

 もっとも、そうしていると次第にお金がなくなって(残り4万くらいになるまでだらだらしていた笑。この記事で「笑」ってもう何度も使っているけど、何ていうか五六周してもはや笑うしかない愚堕々々感がある)

海王星の幻で

 ホラリーでは海王星は恋愛・結婚系の質問では欺瞞・嘘・妄想・幻覚みたいな意味で出てくることが多い(と読んだ)のですが、n海王星のサビアンは「山羊座26度:水の妖精」で、山羊座にしては妙に湿っぽいというか可愛いというか海王星的なシンボルだと思っていて、まぁ過去の話というか海王星的(実体のない幻)みたいな話なので、かなりぼかせば大丈夫だと思って書くと、そろそろお金が底をつきそうだったので入ったバイト先の先輩(あとで書くような理由で、とりあえず仮名:魚子さんとして書きます)に

その人(魚子さん)の巻いたポニーテールを、(たぶん敢えてだろうけど)振り向くときに自分の顔の近くでふわっと顔にあてるようにする(出会って二日目です……)
話すときにめっちゃ距離が近い(たぶん30cmも離れていない)
何かとボディタッチも多い(手とか背中とか。何かを渡すときとかにさりげなくなのかわざとなのか指が当たるみたいなのがかなり多い)
初日から「手が綺麗ですね」みたいに云われる
これは数ヶ月経ってからだけど、大きい虫をみつけたときに、いきなり腕にしがみつかれる
家でどういう服ですごしているかを、けっこうきわどい事まで話す
どこがというわけではないけど、何となく雰囲気が全体的にデレデレ感がある

みたいな雰囲気だったのですが、こちらは残念ながら恐ろしいほどに異性に対して免疫がない(まぁその辺の性格が歪んでいたり屈折する原因については長くなるので気が向いたら別記事で書くかも)ので、「……(この人は意外と基本的にこんな感じなのかな?)」みたいな不安と混乱とか色々あって、なんていうか海王星……とか今からみると思う。

 ちなみに余談だけど、その先輩のホロスコープを後日出してみたら、太陽こそ乙女座だけど、月が魚座、金星は蠍座、火星は蟹座という感じで、今からみると何ていうかほわほわしてて天然気味で魚らしい魚座だけど、頑張って乙女座になろうとしている感がよく出ていた気がする(何かあるとすぐ「はわわわわ……」みたいな感じで本当に魚座の反応で、それなのにしっかりしなきゃ……的なオーラが出ているのがすごくそれっぽい。あと、手が白魚のような雰囲気で、隙が多いというより隙の方が多い気がする笑。上に書いた出来事は誇張ではないし、思わせぶりな態度という批判のために書いたのではなく、どちらかというとこの後の自分の情けなさとかを書くために一応の経緯として触れないと何故こういう展開になっているかが分からないので、申し訳ないですがこういう書き方になっていて、この話は魚子さんには全く非がない終わり方になるので、しばらくこの書き方で申し訳ないですが進めます)

 あとでトランジット冥王星の検証をしているときに、悚っとしたのは、魚子さんと初めて会った日(初日からしてそういう雰囲気だった)がn海王星t冥王星の合(一回目)の二日後くらいだったことで、今思い出すと死ぬほど恥ずかしくて直視できないけど、破壊と再生(冥王星)が幻想(海王星)を通して心の中(月)に流れ込んでくる、みたいな時期だったけど、壊れ方が情けないというか痛さというか焼けるほど恥かしいというか、痛すぎて二度と体験したくないです。海王星は蒼い波瀾の始まりみたいな現われ方もするかもね。

 ここからがとても謎なのですが(たぶんやんわり魚子さんを何かに誘って流されたのが原因だったと思う、この時期は痛すぎて記憶が消えてる。誘うというほどしっかり誘ってなかった気もするけど)、古い記憶を全て捨てたい気分というか、今まで縛ってきたものを壊したいというか、自分もろとも焼き殺したいというか、斬り刻みたいというか、とりあえず小中学校時代の記憶やらそれ以降のものでも何となく嫌な気分を思い出すものはすべて捨てたし、何なら一通り憎しみとか恨みを込めて壊してから捨ててた(卒アルも捨てたね)。このときのすさまじい破壊衝動というか、自己破壊の欲求というか、縛っていたものへの憎しみというか怒りとか意味不明に逼ってくる狂乱は本当に冥王星……という感じだった(多少必要なものまで捨て過ぎて、一部買い直したものがあるけど、全体としてみれば必要なことだったと思う)。

 部屋の中に澱のように淀んでいた古い記憶というか何重にも縛りつけていた二十年近い膿の塊まりを吐き出しまくる時期で、大体二ヶ月くらい吐き続けた(部屋が)。

 この青い嵐の狂乱状態も海王星・冥王星合っぽいというか、特に山羊座なんて周りから力で抑えつけられてきて怨みとか憎しみとか恐怖とか欺瞞とかが異様な興奮と嫌悪と破壊衝動に苛まれつつとにかく家の中に溜まっていた膿を捨て続けていて、山羊座26度:水の妖精でn海王星t冥王星が合しているときに魚座っぽい雰囲気の人がきっかけになってめちゃくちゃな破壊が起こる、みたいになっている(魚子さんには悪い感情は全くないです)

 ちなみにここから少し海王星の怖い面なんだけど、理由のない不安(“ぼんやりした不安”の“ぼんやり”が海王星の中心的象意)が襲ってくる時期になり、まぁその不安の内容といえば変な噂を流されたらどうしよう、断られたら怖いみたいな不安でふつうに暮らすことも難しいくらい不安にさいなまれて、今からみるととりあえず引くけど魚子さんと会うのが怖くて、ひそかに親のもっていた安定剤(セロトニンの吸収を抑えるみたいな効果だった気がする)を少し勝手に拝借して、それなりに薬で落ち着かせる(精神薬・ドラッグも海王星)みたいな状態になったり、薬で落ち着かせるってこういう感じなのか(あるいは月・海王星合は不安に襲われがちみたいにいうけど、多くの人は意外とこんなに不安にならないのかも……みたいに思った)と感じていたと思う。この理由のない不安が強迫観念的に迫ってくるのも海王星・冥王星合らしい。
(まぁ、出生図で月・天王星・海王星合から思うと、天王星は奇行の目立つ電波、海王星は妄想する電波で、それが小さい頃から離れたことがないので、外から刺激が入ってくると殆ど刺激強すぎ状態になって脳がついていかない笑。ある意味、このトランジット冥王星体験記は月・天王星・海王星合をある程度洗練させるというか、悪い出方をしていたのを終わらせる話みたいなイメージ)

 ところで、出生図で月・海王星合なのですが、n海王星t冥王星合になったときのほうが、n月t冥王星合のときより傷を負っている気がするんだけど、月と何かの天体が合の人って、トランジット冥王星とかが来たときに、月の隣にある天体とトランジットの天体が合の方が辛いか、月そのものと合の方が辛いか、みたいなのってあるのかな……(ネットで調べたけど、誰も書いてないみたいで、月・海王星が合だと海王星の分だけ月が大きくなるので、通常のトランジット冥王星に海王星も上乗せされているからだったり?)

 そして、事態はついに決裂する。想像するだけで恐怖のあまり吐きそうになりながら魚子さんに一緒に出掛けませんか的なことに誘って、やんわり流されたけど、そもそもダメージより死なずに済んだ的な虚脱感のほうが大きかった気がするけど、その時期はn海王星t冥王星の二回目の合から二日後くらいだった(検証して本当にぞっとした。この時期は、海王星の幻に踊らされる哀れな奴よ……と云いたくなる。海王星のダメージって、冥王星と比べて恥ずかしいというか、冥王星は誰がみても大変そうだわ……ってなるけど、海王星はよく云われる不倫・妄信・カルトみたいな意味で痛さとか痴態をさらす感があって、本当に恐ろしい。海王星って、漢字一字であらわすと「妄・幻・痴」が近い気がする)。

 ただ、これで終わらないのがトランジット冥王星のすごさというか、まぁここからの順序をよく覚えていないけど、この前後(2022年5月くらい)に占星術を知ったりしてます。あと、魚子さんからは7月頃に一度流された後も、虫にびっくりして腕にしがみつかれたり、一度帰ったあとにわざわざ差し入れのお菓子を買ってきてくれたり……みたいな話があったりする。

 魚子さんのこういう雰囲気が実際いままで通りつづく(勘違いされて困ったら、多少は離れそうだけど、こういう分からなさは魚座っぽい)ので、ネットで調べたら3回まで誘っても大丈夫、3回以降はしつこいから退くべきとあって(個人的に3回はかなり危ないと思うけど)、とりあえず二回は終わった(3月頃に一回目、7月終わりに二回目)けど、その頃知った占星術で星座別の似合う服とか見て、今まで選んでいたのって全然合わないものだったのか……と思ったり(星座以外にも骨格や肌の色とか全無視していたのも原因だけど)、ここは痛すぎるから略筆に略筆を重ねるけど、どうせ次誘うなら多少準備してから……みたいなことだったと思う(この頃に知ったことは、いずれこの記事とかの淵源になるのですが、まぁあまり触れたくない話)。

 あと、地味にt海王星がn土星と合なので、土星の蓋に海王星がどぼどぼ水をかけて溶かしまくっている時期でこの一年はとにかく海王星が暴れまくっていたりする。ちなみに、あともう一回は一ヶ月後くらいに誘って流されたので、この辺が退き際だと思って引いた(もっとも、悪い噂を流したり、表立って態度を変える人ではなかったので、魚子さんはいい人だったとも思うけど。魚子さんが退職するときには「デレデレしててごめんなさい」って云われてたけど、やはり大切に思ってくれた人を大切にするって、今まで自分の不安や感情の中だけで生きていたのを、何か別の方法があるのかも、でもそれがまだ分からないし、出来るかも分からない……みたいなことを思っていたけど、それでもとりあえず何かしよう……とかも思った気がする。これは結論とかない部分なので置いておくけど)

 どうでもいいけど、月・海王星合って、不安(海王星)と感情(月)が合だけど、二週間くらい安定剤を拝借したり、誘って断られても死なないと知ったり、あるいは噂を流されたりという不安だったり、まぁはっきり云って自分の感情の中だけでやたらうだうだ不安と妄想が溢れて盛り上がっているというか、ずっと幻覚をみている、妄想と現実の区別がついていない(月海王星合の現実と妄想の区別がついていないモードが最大まで高まると、何をしても人に嫌われるとか思い込んで関係を全て断つ、みたいな極端なことをふつうにする笑。この辺りで月・海王星合の病的・強迫的な妄想ととりとめのない幻想癖はいい意味で少し枯れたと思う)。

覚醒したサビアンシンボル

 厨二くさいことを云うと、サビアンシンボルには覚醒という段階がある気がする(誰も書いていないけど)。強いトランジットや何か他の要因でそのサビアンが最大まで刺激されるorそれに頼りすぎると、ふつうは360分の1としての機能だけど、ある一つの度数の応用で他の働きも全て代用している(他の度数本体の能力には劣るけど、ある度数の機能を応用することで似たような働きをさせられるみたいな)状態だと思っている。

 余談だけど、自分はMBTI(性格診断の一種)ではINFP(妄想好きで脳内で色々完結するタイプ。現実的に何かする前に想像して満足してしまう)なのですが、占星術でそのタイプをあらわすと、個人的な感覚では魚座:INFP、牡牛座:ISFP、乙女座:ISTJ、山羊座:NTJ、天秤座:ENFJみたいな雰囲気があって、月山羊座、太陽牡牛座、ASC:天秤座らしさが全くないと思っていたのですが、月・海王星合(月・天王星合も入るかも)がINFPらしさの原因かもと思っていて、INFPは若年期は妄想や不安、とりとめのない抽象的な世界に漂いがちなエネルギーを実際の世界にどのように実現していくかが課題みたいに書かれるのですが、ある意味2021年のn海王星t冥王星合の一件はその始まりみたいにも思っているのですが、これは本筋には関係ないので置いておきます。

 2022年4月、ついにn月t冥王星合の一回目を迎えるのですが、この記事で書いた飛騨への旅行はちょうどその頃で、円空の仏像は二つの顔をもつときは、どの作品も悪辣な顔と穏やかな顔、冷厳な顔と優しい顔などが組み合わせられていて、自然のもっている二つの面が含まれているようで、円空の感覚はそういうふうに自然を感じていたのも……と思ったのが始まりで、出生図の月のサビアンシンボルは

山羊座29度:お茶の葉を読んでいる女

なのですが、これはカップの底にホロスコープやウィジャ盤のような区分の中にどのような形でお茶の葉が残るのかで占うというもので、形あるもの(山羊座的なもの、お茶の葉)の後ろにある形のないもの(29度は次の星座の意味が入り始めるとされる、水瓶座的な抽象的なもの)を読むというシンボルです(n月t冥王星合って、もっと大変なことが起こりそうだけど、ふつうに楽しい旅行でした。占星術は既に知っていたけど、ひと通り基礎を知って放置している。トランジットは技量的にまだ読めない)。

 ところで、このまま荏苒(だらだら)と日々を送るより、とりあえず何かしようと思って今の状態を変えるために思いついたのが、バイト暮らしを脱してまともに働くことではなくて、一応は大学院まで行ってそれなりに通じているつもりだった文章の勉強をさらにする……という方法だったらしい(どういう経路でこういうことを択んだのか自分でもやや謎笑)。この辺りはそもそも月・天王星・海王星合というか根本的には何ひとつ懲りていないし、何ひとつ学んでいないし、茫漠としてあやふやだった空想癖・妄想癖・不安症に、灼け焦げた玉鋼のような冥王星の直撃をうけて、性質は変わらないまま練度を上げていくという選択をする辺りに、どうやっても変わらない・治らない感が出ている。

 この時期にしていたこととして、作風がとても好みだった王闓運という詩人の作品を筆写するというもので、大学院の頃はこんな呑気なことはできなかったし、こんな専門外のことも好き勝手に書けないので、この時期には“王闓運”“秀韻と雄節”みたいなその人の生まれ持った空間の性質が文章にどのようにあらわれているか、みたいなことを少し感じられるようになった気がする(いままでそれを感じるのに数ヶ月かかっていたけど、この時期に相性がいいときは数日で感じられるようになった。この技は、作品や生得領域だけでなく、山や民間伝承などにも応用できる。あと、n月t冥王星合の二回目はわりと穏やかに過ぎていって、2022年5月くらいにもう一度占星術をいろいろネットで調べ始めたかも)

海王星とキロンの……

 そんな感じで占星術と文章の勉強を重ねていたのですが、この技法を占星術でも使ってみたら面白いかもしれないと思ったり、でも占星術ブログって占いの技法の紹介や有名人のリーディング例などはあっても、今一つ自分の書きたいスタイルの例が無かったので、なかなか形にならないです。

 そんなとき、たまたま見つけたのが、もはやほとんど占星文学とでも云うべきクオリティ(文章がとても上手い、感動させられる、こういうのを書いてみたいと思わせられる)で、実名を出すのもどうかと思うので、気になる方は「月 海王星 アスペクト」で調べると少し下の方に連作記事で出てきます。

 これを読んだときの衝撃は本当にすごくて、自分のブログを作る前にどういう雰囲気にしようか構想するときに2回くらい熟読して、結果的にやや違う路線に最近なりつつあるけど、それでも初期はかなり真似している。

 ちなみに、この時期は体調的に謎の不調期で、ブログ書くべきか否かで悩んでいた時期に、ほぼ毎日のように血便が出て、大腸に何かあるかも……とされて、病院でカメラ入れて検査して結局何もなかったりしたけど、ブログ書き始めたら何故か治った笑。

 そういえば、プログレス月がこの頃に回帰していて、その日は東京の美術館で陶磁器とか書などをみていた気がする。すごく月っぽい静かな時間だった。

 あと、この辺りの時期に服のスタイルが現在の約6割確立されていて、残りは今に至るまで随時微調整という感じです。この頃に京都に行っていて、これもかなり楽しい旅行でした。どうでもいいけどファッションには生得組と覚醒組というのがいると勝手に思っていて、個人的な印象では覚醒組ってなんていうか好みが独特で人前で着るのが恥ずかしいというか、中学~大学くらいまで服の趣味を隠していて……みたいなタイプ(大学卒業後くらいに覚醒したとしても、昔の知り合いに会うときにあまりに雰囲気変わり過ぎていて引かれるのが怖くてどうしていいのかわからない笑)。あと、覚醒組はもれなく根が陰キャだと思う。大学くらいまで陰キャがそういう服着るのってものすごく怖いというか畏れ多いけど、陰キャなので出掛けるときに基本ひとりだったりして、お蔭で多少あれな服でもとやかく言われずに安心できる。ちなみに人間関係からほとんど切られて得た一番の幸せはこれだと思う。太陽・ブラックムーンリリスが牡牛座で合(後から気づいたけど、恒星版リリスとも云えるアルゴルも合)なので、牡牛座的な快楽とかは味わっていると何ていうか生き返るような楽しさ・喜びみたいな(改めてみると引くけど)、一人で出掛けるとブラックムーンリリスとかを思いっ切り出していても咎められない安心感があって楽しい。そういえば、トランジット冥王星の破壊は太陽・リリス合から120度なので、或る意味太陽にとって癒やしみたいな面があったのかも。月は大変なことになったけど。

 ちなみに、生得組(一部に高校デビュー・大学デビュー組も含むけど、どちらかというと陽キャの付き合いに馴染める系の人かも)はほどよい感じの浮かない服を選んでいる印象。覚醒組は一人一流派的な雰囲気で独特の組み合わせだったり、いい意味で癖のある使い方をしている感じがある(例えば着物の帯とか中国の民族衣装とかに現代の韓国系のジャケットだったり、ネットのハンドメイドショップで買ったアクセサリーを混ぜていたりするのだけど、これは牡牛座金星・水瓶座天王星90度のジャンルレス・ボーダーレスのエキセントリックな組み合わせ(水瓶座天王星)で牡牛座金星の素材感みたいな感じで、これについてはもしかすると別記事で書くかも)。

 自慢じゃないけど、飛騨古川のカフェのマダム、京都 東福寺の御朱印係をされていた奥様には初対面でたまたまお店に入ったり御朱印をもらっただけなのに、めっちゃ服とか褒められたので、別段変じゃないと信じたい(東福寺に行ったときにコーデの一部。その記事で書いている天体や星座の色をどのように活かせるかっていう考察そのものがもはやそういう系のセンスが出過ぎていて、ふつうそんなどぎつい毒の塊みたいな組み合わせを誰もしたがらない気がする。でも、最近やっと抵抗なくなってきたけど、問題は家の中でいつ云うか笑)

 どうでもいいけど、太陽とリリス合とか太陽とキロン合とかって、太陽的なことをするときにすごい後ろめたさとか恥ずかしさとかがある気がする。どちらかというと人に見られたくない面が太陽と重なるって、なかなか不利だよね笑。

狂気の五部作

 そんな感じでブログを書いているのですが、そのうち易林についてのブログで奇跡とも云える記事が幾つか出てきていて、

感性と知性の形容詞
 大学二年の終わりくらいに読んだ本からずっと考えていること。言葉のもっている音や質感はどのように他のものと関わっているか(あるいは自分が世界を質感でとらえているのかもしれないけど)ということについて、ある意味では根本となる感覚だったりする。

王闓運・秀韻と雄節
 2022年7~8月あたりに文章の筆写というめちゃくちゃ暇なことをしながら感じたこと。歴代の文学評論で、中国では作品の雰囲気を質感であらわした言葉がよく使われるけど、その質感は文章のどのような特徴から作られているかを書いた記事。

芸術と気の質感
 鬱々としていた高校二年のとき『荘子』を読んで、その中にでてくる

鄭の神巫に季咸という者がいて、人の生死存亡・禍福寿夭を知って、歲月旬日まで当てていて、神の如しとされていた。鄭の人はこれを見ると、(その術を怖れて)皆な棄てて走るほどだった。
列子はこれを見て心酔して、帰ってきて壺子に告げていう
「始め私は先生(壺子)の道を至上のものと思っていましたが、それよりも上を行くものがありました。」
壺子はいう「私はお前にその上辺を見せたかもしれないが、まだその中身を見せていない、それなのにもう悟った気えいるのか?雌鳥は多くても雄鳥がいないと卵は孵らないというけれど、道をふりまわして世と抗って必ず信ぜられようなんて思っているから、そもそも人から見抜かれているのだ。試しにその者とともに来て、私に会わせてみよ。」

明日、列子は季咸とともに壺子に会った。季咸は家を出ると列子にいう
「ああ。きみの先生は死ぬかもしれない、活きられない。きっと十日も持たないだろう。私はこれをみて怪しんだが、湿った灰のようだ。」
列子は入って、泣いては襟を濡らして壺子にいう。壺子は
「私がさきに示したのは地文というもので、萌乎(ぼんやりとして)震えず正しからず、これは私の杜德機(徳:働き、杜:閉ざす、機:とき)を見せたのだ。さて、もう一度つれて来い。」

明日、また季咸と列子は壺子に会いに行くと、季咸は出ていう「幸(よかった)。きみの先生は私に遇った甲斐あって、癒えるところも有り、全然として生気がある。私はその杜(閉ざしたもの)が権(現われる)様子がみえた。」
列子は入って、壺子に告げると壺子は
「さきに私が示したのは天壌の相というもので、名実などはまだ出てこないうちの、それでいて生機は踵より発しているもので、これによって私の善者機(善い働きのとき)をみたのだ。さて、明日もつれて来い。」

明日、また季咸をつれて来て壺子を見せると、季咸は出てきて列子にいう
「きみの先生はあれこれ落ち着かない、私はこれでは視られない。もう少し落ち着かせてから、また視ることにしよう。」
列子は入って壺子に告げると、壺子は
「私が見せてやったのは太冲莫勝というものだ。これによって私の衡気機(どこまでも鈞り合った気)をみたのだ。渦巻く水の聚まりが淵を為したり、止まった水の聚まりが淵を為したり、流れる水の聚まりが淵を為したりするが、淵というのは九つあって、これはその三つなのだ。さて、明日もつれて来い。」

明日、また季咸をつれて来ると、壺子の前に立って定らないうちに、自失して逃げ出した。壺子は「追え。」といって、列子は追いかけたが追いつかず、戻ってきて壺子に「どこかに行ってしまいました、見失ってしまい、追いつけないほどでした。」という。壺子は「さきに私は未だ始めて吾が宗を出でぬうちの相をみせたのだ。私はこれと共に虚となって委蛇(ふらふらとして)、誰が何であるかも知らず、よって弟靡(どろどろだらだらとして)、波に流されるようだった。それゆえ逃げていったのだ。」(『荘子』大宗師篇より)

という話があるのですが、この雰囲気に思いきり魅せられて、さらに小中学校時代の経験から『荘子』の中の真人・至人たちがこの世の権力者たちを憂いを湛えたまま愚弄・嘲笑している様子に魅入られていたり、あるいは物語の中で神仙が幻術の類で人を誑かす様子に憧れていた人間として、吐き気がするようなものまで一つの術として妙なうちに溶かし込んでしまう荘子的世界観(十年くらいこのテーマについて断続的に考えている。文学とか占いもこの世界観の一部みたいな感じで楽しんでいる気がする)の一通りの完成みたいな記事になっていると思う。

 この十年間語りたかった幻想・自分でも見たことがないけど見たかったもの(このことを知りたいと思って色々な本を読んでも誰も書いてなかった……)について一つの答えというか、月・天王星・海王星的世界観(月:感情、天王星:術の理論、海王星:形のふやふやと変わっていく幻想)についての自分でも予想以上にいい答えを出した気がする(この瞬間に死んでいれば幸せだったかもね、これからさらに一段深めるかもしれないけど)。もっとも、それ以降もふつうに生きているので、ホラリー占星術のことを調べたり、こんな記事(月・天王星・海王星的世界観のもう一つの完成形だと思う)を書いたりしているけど。

 ところで、8月24日に四回目、11月26日に五回目のn月t冥王星合なのですが、今度は何が起きるのか、なんて思ったり、それでもトランジット冥王星の再生って、形のない不安とか妄想とか、飛躍して実体のない話ばかりしがちな天王星・海王星にある程度振り回されないようにして、一段洗練度を上げる過程みたいな印象(昔はもっと濫費するように無駄に溢れ出ていた天王星・海王星)。どうでもいいけど、トランスサタニアンの合とか若いときは全く扱い切れるものではないというか、人生の前半は捨てているくらいになると思う。それくらい或る程度年を取らないと難しいというか、悪い出方になり易いと思う。そういう意味では天王星・海王星的手法を封印して作品に書いてあることだけで読むということを教えてくれた大学院時代の先生にはすごく感謝している。こんな人間になっているけど笑。

 ちなみに、この記事ではトランジットだけ(少しはプログレスも入れたけど)で書いていたけど、ソーラーアークを最近みてみたら、SA天王星がn火星n太陽とTスクエアなんですね。どうりでこういう過激な記事を書いているわけで、そのあとにはSA月・SA海王星がそれぞれ出生図の太陽・火星・冥王星とそれぞれハードを取っていくということで、まだ数年休めそうにないのですが、この数年は月を中心にアスペクトが何重にもできていたけど、今度は太陽(リリス・アルゴル合)・火星・冥王星っていう凶悪組と月・天王星・海王星という頽廃組の連続グランドクロスで、さらにn金星t冥王星90、n太陽t天王星合もあって、特に太陽とASCルーラーの金星周りがいろいろと不穏で、軍神(火星)・歪んだ主神(リリス太陽合)・破壊神(冥王星)というもともとのTスクエアに、天王星(奇神)・月(一向に懲りない)・海王星(幻想神)が次々にぶつかってくる。たぶんだけど、固定宮なのでどの天体も引かず、太陽・金星のある牡牛座周りがかなり難しい折衷になるらしくて(金星・火星はアンティションなので出生図の固定宮Tスクエア+金星が大きく関わることになる傍証にもなりそう)、或る意味いままでの方が月だけだからまだぬるかったのでは……という展開が待っている(果たして生きているのか笑。そして自分語り長すぎ……)。

 ちなみにこの記事のアイキャッチ画像は、夢葉ねこさんの投稿からお借りしています(無料素材でこのクオリティは嬉しいです!)。あと、この記事の内容を一言であらわしていて、もはや笑うしかないです……。海王星って、記事にしてみて思ったけど、現実世界に興味ゼロですよね笑。

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「ネイタルのこいつらがフォーメーション組むとほんとろくな事にならん(極極々稀に仕事する) https://t.co/TzaDNhdhKV」 / X (twitter.com)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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