文学

幸田露伴  歴史は渾沌する

 すごく久しぶりだけど、有名人のチャートリーディング、今回は幸田露伴です(原案そのものは二月くらいに出来上がっていたのですが、引用が複雑だったり、それ以外の記事を書いていたのでかなり遅くなってます)。

 チャートはこんな感じ。ハウス・月は推測です。

 獅子座ステリウムのスプラッシュ型とでもいう感じです。そして、ディスポジターを追ってみると、太陽が全体をまとめるようになっています。

太陽:獅子座29度  人魚

 29度はその星座らしさが次の星座らしさに消されながら残ろうとする度数(松村先生説)なので、獅子座らしい独尊性と乙女座らしい実現できるか細部をみていく感覚の融合、火星座のみずからの感情で動いていく面と、地星座の実際の形を取らせていく面の間のような度数です。

 この太陽が、魚座木星と180度なので、魚座の様々な感情が大きく膨らむ木星に入り込みながら、狭い半島の交通渋滞のごとく(魚座4度)半島内に古く詰まったようなものや新しく渋滞として流れ込んでくるものが積もり合って出来ている感情と外れながら向かい合う(アウトオブサインの180度)なので、魚座のむやむやと繋がり合う感情と獅子座のみずから一人のみ知っている思いがずれながら向かい合う様子(獅子座と水瓶座だと個々の思いが分かれながら同じ大きさで並立する様子になりそうですが)です。

 この意味は、露伴の小説や随筆には度々出てくる主題で、

 古より今に至るまで、成敗の跡、禍福の運、人をして思いを潜めしめ嘆を発せしむるに足るもの固より多し。されども人の奇を好むや、猶以て足れりとせず。是に於て才子は才を馳せ、妄人は妄を恣にして、空中に楼閣を築き、夢裏に悲喜を画き、意設筆綴して、烏有の談を為る。或は微しく本づくところあり、或は全く拠るところ無し。小説といい、稗史といい、戯曲といい、寓言というもの即ち是なり。作者の心おもえらく、奇を極め妙を極むと。豈図らんや造物の脚色は、綺語の奇より奇にして、狂言の妙より妙に、才子の才も敵する能わざるの巧緻あり、妄人の妄も及ぶ可からざるの警抜あらんとは。吾が言をば信ぜざる者は、試みに看よ建文永楽の事を。(『運命』より)

のようにあるうちの、「小説といい、稗史といい、戯曲といい、寓言というもの」「才子の才・妄人の妄」は魚座の木星のぼやぼやと拡大する人々の間に流れる感情、それらを越えて奇にして妙、巧緻にして警抜な生き方をみせるのは燕王、氏郷、将門などの威徳兼ね備えた人々、あるいは人情の酷毒にして怪奇なる様……という作品が多いです。この人たちの、情熱や思いが人の世に形を取ろうとして、もとの奔逸さを削られながら、それでも溢れて形を取ろうとしている様子が獅子座29度のサビアンで、さらに雄邁の気象を帯びるのは、恒星レグルスが入るためかもです(レグルスは獅子の食らい付くような力で掴み取る地位の意みたいに思ってもらえると近い気がします)

 ただ、露伴の小説・随筆の魅力は乱世の梟雄譚というよりは、その周りの俗説俗伝との校合・錯綜にあると思っていて、例えば蒲生氏郷が豊臣時代に奥州の伊達政宗の監視役として送り込まれるときの話で

 氏郷が会津の守護、奥州出羽の押えに任ぜられたに就ては面白い話が伝えられている。その話の一ツは最初に秀吉が細川越中守忠興を会津守護にしようとしたところが、越中守忠興が固く辞退した、そこで飯鉢(おはち)は氏郷へ廻った、ということである。細川忠興も立派な一将であるが、歌人を以て聞えた幽斎の後で、人物の誠実温厚は余り有るけれど、不知案内の土地へ移って、気心の知り兼ねる政宗を向うへ廻して取組もうというには如何であった。若し其説が真実であるとすれば、忠興が固辞したということは、忠興の智慮が中々深くて、能く己を知り彼を知って居たということを大に揚げるべきで、忠興の人物を一段と立派にはするが、秀吉に取っては第一には其の眼力が心細く思われるのであり、第二に辞退されて、ああ然様か、と済ませたことが下らなく思われるのである。で、この話は事実で有ったか知らぬが面白く無く思われる。

 又今一つの話は、秀吉が会津を誰に托そうかというので、徳川家康と差向いで、互に二人ずつ候補者を紙札に書いて置いてから、そして出して見た。ところが秀吉の札では一番には堀久太郎秀治、二番には蒲生忠三郎、家康の札では一番に蒲生忠三郎、二番に堀久太郎であった。そこで秀吉は、奥州は国侍の風が中々手強い、久太郎で無くては、と云うと、家康は、堀久太郎と奥州者とでは茶碗と茶碗でござる、忠三郎で無くては、と云ったというのである。茶碗と茶碗とは、固いものと固いものとが衝突すれば双方砕けるばかりという意味であろう。で、秀吉が悟って家康の言を用いたのであるというのだ。此談は余程おもしろいが、此談が真実ならば、蟹では無いが家康は眼が高くて、秀吉は猿のように鼻が低くなる訳だ。堀久太郎は強いことは強いが、後に至って慶長の三年、越後の上杉景勝の国替のあとへ四十五万石(或は七十万石)の大封を受けて入ったが、上杉に陰で糸を牽かれて起った一揆の為に大に手古摺(てこず)らされて困った不成績を示した男である。又氏郷は相縁奇縁というものであろう、秀吉に取っては主人筋である信長の婿でありながら秀吉には甚だ忠誠であり、縁者として前田又左衛門利家との大の仲好しであったが、家康とは余り交情の親しいことも無かったのであり、政宗は却て家康と馬が合ったようであるから、此談も些受取りかねるのである。

 今一ツの伝説は、秀吉が会津守護の人を選ぶに就いて諸将に入札をさせた。ところが札を開けて見ると、細川越中守というのが最も多かった。すると秀吉は笑って、おれが天下を取る筈だわ、ここは蒲生忠三郎で無くてはならぬところだ、と云って氏郷を任命したというのだ。おれが天下を取る筈だわ、という意は人々の識力眼力より遥に自分が優って居るという例の自慢である。此話に拠ると、会津に蒲生氏郷を置こうというのは最初から秀吉の肚裏に定まって居たことで、入札はただ諸将の眼力を秀吉が試みたということになるので、そこが些訝しい。往復ハガキで下らない質問の回答を種々の形の瓢箪先生がたに求める雑誌屋の先祖のようなものに、千成瓢箪殿下が成下るところが聊か憫然だ。いろいろの談の孰れが真実だか知らないが、要するに会津守護は当時の諸将の間の一問題で好談柄で有ったろうから、随って種々の臆測談や私製任命や議論やの話が転伝して残ったのかも知れないと思わざるを得ぬ。

……サア木村父子が新来無恩の天降り武士で多少の秕政(失政の意)が有ったのだろうから、土着の武士達が一揆を起すに至って、其一揆は中々手広く又手強かった。……西を向いても東を向いても親類縁者が有るでも無い新領地での苦境に陥っては、二人は予ての秀吉の言葉に依って、会津の蒲生氏郷とは随分の遠距離だが其の来援を乞うよりほか無かった。一体余り器量も無い小身の木村父子を急に引立てて、葛西、大崎、胆沢を与えたのは些過分であった。何様も秀吉の料簡が分らない。木村父子の材能が見抜けぬ秀吉でも無く、新領主と地侍とが何様なイキサツを生じ易いものだということを合点せぬ秀吉でも無い。一旦自分に対して深刻の敵意を挟んだ狠戻豪黠の佐々成政を熊本に封じたのは、成政が無異で有り得れば九州の土豪等に対して成政は我が藩屏となるので有り、又成政がドジを踏めば成政を自滅させて終うに足りるというので、竟に成政は其の馬鹿暴(ばかあら)い性格の欠陥により一揆の蜂起を致して大ドジを演じたから、立花、黒田等諸将に命じて一揆をも討滅すれば成政をも罪に問うて終った。木村父子は何も越中立山から日本アルプスを越えて徳川家康と秀吉を挟撃する相談をした内蔵介成政ほどの鼬花火(いたちはなび)のような物狂わしい火炎魂を有った男でも無いし、それを飛離れた奥地に置いた訳は一寸解しかねる。事によると是は羊を以て狼を誘うの謀で、斯の様な弱武者の木村父子を活餌にして隣の政宗を誘い、政宗が食いついたらば此畜生めと殺して終おうし、又何処までも殊勝気に狼が法衣を着とおすならば物のわかる狼だから其儘にして置いて宜い、というので、何の事は無い木村父子は狼の窟(いわや)の傍に遊ばせて置かれる羊の役目を云い付かったのかも知れない。筋書が若し然様ならば木村父子は余り好い役では無いのだった。

 又氏郷に対して木村父子を子とも家来とも思えと云い、木村父子に対して氏郷を親とも主とも思えと秀吉の呉々(くれぐれ)も訓諭したのは、善意に解すれば氏郷を羊の番人にしたのに過ぎないが、人を悪く考えれば、羊が狼に食い殺された場合は番人には切腹させ、番人と狼と格闘して狼が死ねば珍重珍重、番人が死んだ場合には大概草臥れた狼を撲(ぶ)ちのめすだけの事、狼と番人とが四ツに組んで捻合(ねじあ)って居たら危気無しに背面から狼を胴斬りにして終う分の事、という四本の鬮(くじ)の何れが出ても差支無しという涼しい料簡で、それで木村父子と氏郷とを鎖で縛って膠で貼つけたようにしたのかも知れない。して見れば秀吉は宜いけれど、氏郷は巨額の年俸を与えられたとは云え極々短期の間に其年俸を受取れるか何様か分らぬ危険に遭遇すべき地に置かれたのだ。番人に対しての関白の愛は厚いか薄いか、マア薄いらしい。会津拝領は八月中旬の事で、もう其歳の十月の二十三日には羊の木村父子は安穏に草を噉(は)んでは居られ無くなって、跳ねたり鳴いたり大苦みを仕始めたのであった。(『蒲生氏郷』より。ちなみに「狠戻」は凶悪残暴のことで、南北朝時代の北朝のことを書いた『北史』に出てくる語彙だったりして、殺伐として乾いた雰囲気をよく出している)

などのように云っているのは、魚座4度木星の「様々な感情がふくらんで古いものと新しいものが結びついて大きくなったりあやふやになっていく様子」みたいで、獅子座太陽を隠しているようにみえます。

 この史料の錯綜化は露伴の作品に何度も出てくる感覚で、「(将門の私闘について)記の此処の文が妙に拗れて居る」「(将門のもとに流れてきた興世王は)日本外史や日本史で見ると、いきなり「兇険にして乱を好む」とあつて、何となく熊坂長範か何ぞのように思えるが、何様いうものであらうか」なども『平将門』にも出てきて、その度ごとに露伴は

 何にせよ此事が深い怨恨になった事と見て差支(さしつかへ)は無い。しばらく妻子は殺されて、拘われた妾は逃帰った事と見て置く。此事あってより将門は遺恨已み難くなったであらう……

(興世王は)根が負け嫌いの、恐ろしいところの有る人とて、それなら汝(きさま)も勝手にしろ、乃公(おれ)も勝手にするといった調子なのだらう、官も任地も有ったものでは無い、ぶらりと武蔵を出て下総へ遊びに来て、将門の許に「居てやるんだぞぐらいな居候」になつた。「王の居候」だからおもしろい。「置候(おきさふらふ)」の相馬小次郎(将門)は我武者に強いばかりの男では無い、幼少から浮世の塩はたんと嘗めて居る苦労人だ。田原藤太に尋ねられた時の様子でも分るが、ようございますとも、いつまででも遊んでおいでなさい位の挨拶で快く置いた。誰にでも突掛りたがる興世王も、大親分然たる小次郎の太ッ腹なところは性に合ったと見えて、其儘遊んで居た。多分二人で地酒を大酒盃(おおさかづき)かなんかで飲んで、都出(みやこで)の興世王は、どうも酒だけは西が好い、いくら馬処(うまどころ)の相馬の酒だって、頭の中でピンピン跳ねるのはあやまる、将門、お前の顔は七ツに見えるぜ、なんのかのと管でも巻いていたか何様か知らないが、細くない根性の者同士、喧嘩もせずに暮して居た。

などとしていきます。

 金星は獅子座20度(20度は、各星座の第四グループで対向サインの性質が流れ込んできたあとに、それを含めて元の星座らしさを取り戻す度数。獅子座らしい自らへの重い意思の何度でも沸き上がること)なので、土星・冥王星とTスクエアになっているのも含めてサビアンをみてみます。

金星:獅子座20度  ズニ族の太陽の崇拝者
土星:蠍座19度  聴いてはしゃべっているオウム
冥王星:牡牛座17度  剣と松明の戦い

 金星は愉しみや美意識などをあらわすけど、このチャートでは広い意味では太陽と合みたいな面があるから、太陽を支えるような美意識だとすると、梟雄たちのもっている渾然とした運命や時のうねりを背に受けることを象徴するような(あるいは天の意を聞いて、何度でも湧き上がってくる赫々たる太陽のような)質感をあらわすために露伴はとにかく“茫茫漠々たる水”を描きます。

 事態は既に決裂せり。燕王は道衍を召して、将に大事を挙げんとす。
 天耶、時耶、燕王の胸中颶母(ばいぼ)まさに動いて、黒雲飛ばんと欲し、張玉、朱能等の猛将梟雄、眼底紫電閃いて、雷火発せんとす。燕府を挙って殺気陰森たるに際し、天も亦応ぜるか、時抑(そも)至れるか、颷風暴雨卒然として大に起りぬ。蓬々として始まり、号々として怒り、奔騰狂転せる風は、沛然として至り、澎然として瀉ぎ、猛打乱撃するの雨と伴なって、乾坤を震撼し、樹石を動盪しぬ。燕王の宮殿堅牢ならざるにあらざるも、風雨の力大にして、高閣の簷瓦吹かれて空に飄り、砉然として地に堕ちて粉砕したり。大事を挙げんとするに臨みて、これ何の兆ぞ。さすがの燕王も心に之を悪みて色懌ばず、風声雨声、竹折るる声、樹裂くる声、物凄じき天地を睥睨して、惨として隻語無く、王の左右もまた粛として言わず。時に道衍少しも驚かず、あな喜ばしの祥兆や、と白す。本より此の異僧道衍は、死生禍福の岐に惑うが如き未達の者にはあらず、膽に毛も生いたるべき不敵の逸物なれば、さきに燕王を勧めて事を起さしめんとしける時、燕王、彼は天子なり、民心の彼に向うを奈何、とありけるに、昂然として答えて、臣は天道を知る、何ぞ民心を論ぜん、と云いけるほどの豪傑なり。されども風雨簷瓦を堕とす。時に取っての祥とも覚えられぬを、あな喜ばしの祥兆といえるは、余りに強言に聞えければ、燕王も堪えかねて、和尚何というぞや、いずくにか祥兆たるを得る、と口を突いてそぞろぎ罵る。道衍騒がず、殿下聞しめさずや、飛龍天に在れば、従うに風雨を以てすと申す、瓦墜ちて砕けぬ、これ黄屋に易るべきのみ、と泰然として対えければ、王も頓に眉を開いて悦び、衆将も皆どよめき立って勇みぬ。彼の邦の制、天子の屋は、葺くに黄瓦を以てす、旧瓦は用無し、まさに黄なるに易るべし、といえる道衍が一語は、時に取っての活人剣、燕王宮中の士気をして、勃然凛然糾々然、直にまさに天下を呑まんとするの勢をなさしめぬ。(『運命』より)

 此の政宗は確に一怪物である。然し一怪物であるからとて其の政宗を恐れるような氏郷では無い。洄の水の巻く力は凄じいものだが、水の力には陰もある陽(おもて)もある、吸込みもすれば湧上りもする。能く水を知る者は水を制することを会して水に制せらるることを為さぬ。魔の淵で有ろうとも竜宮へ続く渦で有ろうとも、怖るることは無い。況んや会津へ来た初より其政宗に近づくべく運命を賦与されて居るのであり、今は正に其男に手を差出して触れるべき機会に立ったのである。先方の出す手が棘々満面(とげとげだらけ)の手だろうが粘滑油膩(ぬらぬらあぶら)の手だろうが鱗の生えた手だろうが蹼(みずかき)の有る手だろうが、何様な手だろうが構わぬ、ウンと其手を捉えて引ずり出して淵のヌシの正体を見届けねばならぬのである。(『蒲生氏郷』)

 この渾渾灝灝で涽々濁々の大水が涛を内に立てながら洄いている色が梟雄の心の中だとしたら、紛々繽々として聞いてはしゃべっている鸚鵡のような声の重なり合いがそれを知らない人々の声(さきの木星と同じく、木星・土星の社会天体がそれを知らない周りの人々、獅子座の個人天体が梟雄の心みたいにみえる)なのですが、さらに冥王星(月はオーブが広いので、月と冥王星は一応合になる)がもう一つ作品を複雑にしていると思います。

 この冥王星のサビアンシンボルは、かなり解釈が難しいものなのですが、牡牛座の第四グループで物をもつということが別の価値観で揺らぐとすると、剣はこの世に既にあるものを手に入れるため、松明はまだこの世にないものを探す(鉱脈とか)だとすれば、今の世をみる剣とさきの世をみる松明の戦いが冥王星(未知の縛ってくるもの、あるいは運命・数・暗い水の流れ。この「暗い水の流れ」は冥王星と関わる蠍座にも通じる意味がある)で、梟雄たち(獅子座の個人天体)とも世の人々(木星・土星)とも結びつかずにいる……というのが露伴の深みのある魅力になっています(たぶん)。

 ある意味、梟雄たちはときおり凄まじい水のような重々しい渾灝(冥王星の色に似ている気がする)に入ることはあっても、その全容は別のところにあって、これを知っているのは露伴(の月)や道衍(燕王の軍師)などです。

 道衍は

 道衍又嘗て道士席応真を師として陰陽術数の学を受く。因って道家の旨を知り、仙趣の微に通ず。……
 道衍の一生を考うるに、其の燕を幇けて簒を成さしめし所以のもの、栄名厚利の為にあらざるが如し。而も名利の為にせずんば、何を苦しんでか、紅血を民人に流さしめて、白帽を藩王に戴かしめしぞ。(王の上に白を戴かせて皇の意)道衍と建文帝と、深仇宿怨あるにあらず、道衍と、燕王と大恩至交あるにもあらず。実に解す可からざるある也なり。道衍己(おのれ)の偉功によって以て仏道の為にすと云わんか、仏道明朝の為に圧逼せらるるありしに非る也。燕王覬覦の情無き能わざりしと雖も、道衍の扇を鼓して火を煽るにあらざれば、燕王未だ必ずしも毒烟猛燄を揚げざるなり。道衍抑そも又何の求むるあって、燕王をして決然として立たしめしや。王の事を挙ぐるの時、道衍の年や既に六十四五、呂尚、范増、皆老いて而して後立つと雖も、円頂黒衣の人を以て、諸行無常の教を奉じ、而して落日暮雲の時に際し、逆天非理の兵を起さしむ。嗚呼又解すべからずというべし。若し強いて道衍の為に解さば、惟是れ道衍が天に禀くるの気と、自ら負(たの)むの材と、莽々、蕩々、糾々、昂々として、屈す可べからず、撓む可からず、消す可からず、抑う可からざる者、燕王に遇うに当って、砉然として破裂し、爆然として迸発せるものというべき耶、非耶。予其の逃虚子集(道衍の文集)を読むに、道衍が英雄豪傑の蹟に感慨するもの多くして、仏灯梵鐘の間に幽潜するの情の少きを思わずんばあらざるなり。(『運命』より)

のように書かれていて、その詩には

我生れて  四方の志あり、
楽しまず  郷井の中(うち)を。
茫乎たる  宇宙の内、
飄転して 秋蓬の如し。
孰か云ふ  挟(さしはさ)む所無しと、
耿々たるもの  吾が胸に存す。
魚の濼(いけ)に止まるを為すに忍びんや、
禽の籠に囚わるるを作すを肯(がえん)ぜんや。……

のようにあったりと「魔王の如く、道人の如く、策士の如く、詩客の如く、実に袁珙の所謂異僧なり」とされる人です。この複雑な混ざり合い、剣(「眇たる一山僧の身を以て、燕王を勧めて簒奪を敢てせしめ、定策決機、皆みずから当り、臣天命を知る、何ぞ民意を問わん、というの豪懐」)と松明(「天下を鼓動し簸盪し、億兆を鳥飛し獣奔せしめて憚らず、功成って少師と呼ばれて名いわれざるに及んで、而も蓄髪を命ぜらるれども肯ぜず、邸第を賜い、宮人を賜われども、辞して皆受けず、冠帯して朝すれども、退けば即ち緇衣、香烟茶味、淡然として生を終り、栄国公を贈られ……」)のどこを見ているのか分からないところ(剣なのか松明なのかわからない性格)、あるいは

廷珸の知合に黄黄石(こうこうせき)、名は正賓というものがあった。廷珸と同じ徽州のもので、親類つづきだなどいっていたが、この男は搢紳の間にも遊び、少しは鼎彝書画の類をも蓄え、また少しは眼もあって、本業というのではないが、半黒人で売ったり買ったりもしようという男だ。こういう男は随分世間にもあるもので、雅のようで俗で、俗のようで物好でもあって、愚のようで怜悧で、怜悧のようで畢竟は愚のようでもある。不才の才子である。(『骨董』より)

というような松明になりきれない側の人々も居たりして、露伴の作品には世の人々(木星・土星)と梟雄(獅子座の個人天体)と月・冥王星側になりつつある人たち(運命・数を知る人)がそれぞれいる感じがあります。

 そして、水星・火星の60度なのですが、

水星:獅子座11度  大きな樫の木にあるブランコに乗る子供たち
火星:天秤座8度  荒廃した家の中で燃え盛る暖炉

のようになっているので、水星(物事をどのようにあらわしたり語るか)は遊びや巫山戯も入るようで、火星(何か事を起こすときの始め方)は真理の再燃だとすると(天秤座のサビアンは調和=真理みたいな感じがある)、露伴のさきにあげた作品でも『蒲生氏郷』『平将門』『骨董』などはかなり崩して卑俗にした文体だったり、乱世風だったり下世話な語を多く入れるところがそれらしいです(初期の傑作『運命』のような漢文調でも書けたはずだけど、露伴中期以降の作品はほとんどが崩れた文体になっている)。

 水星はまた広い意味では太陽と合(太陽からのレセプションもあって、古典風にいえば合でもある)なので、太陽的な一代の梟雄のような生き方に合うような言葉みたいな意味になって、そういう例がかなり露伴作品には多いです。

 また金持はとかくに金が余って気の毒な運命に囚えられてるものだから、六朝仏印度仏ぐらいでは済度されない故、夏殷周の頃の大古物、妲己の金盥に狐の毛が三本着いているのだの、伊尹の使った料理鍋、禹の穿いたカナカンジキだのというようなものを素敵に高く買わすべきで……(『骨董』より)

 将平員経のみではあるまい、群衆心理に摂収されない者は、或は口に出して諫め、或は心に秘めて非としたろうが、興世王や玄茂が事を用いて、除目が行われた。将門の弟の将頼は下野守に、上野守に常羽御厩別当多治経明を、常陸守に藤原玄茂を、上総守に興世王を、安房守に文室好立を、相模守に平将文を、伊豆守に平将武を、下総守に平将為を、それぞれの受領が定められた。毒酒の宴は愈々はずんで来た。下総の亭南、今の岡田の国生村あたりが都になる訳で、今の葛飾の柳橋か否か疑わしいが檥橋(ふなばし)というところを京の山崎に擬らへ、相馬の大井津、今の大井村を京の大津に比し、ここに新都が阪東に出来ることになったから、景気の好いことは夥しい。浮浪人や配流人、なま学者や落魄公卿、いろいろの奴が大臣にされたり、参議にされたり、雑穀屋の主人が大納言金時などと納まりかえれば、掃除屋が右大弁汲安(くみやす)などと威張り出す、出入の大工が木工頭(もくのかみ)、お針の亭主が縫殿頭(ぬいのかみ)、山井庸仙(やまいようせん)老が典薬頭、売卜の岩洲友当(いはずともあて)が陰陽博士になるといふ騒ぎ……(『平将門』より)

 鳥が其巣を焚かれ、獣が其窟をくつがえされた時は何様なる。
 悲しい声も能くは立てず、うつろな眼は意味無く動くまでで、鳥は篠(ささ)むらや草むらに首を突込み、ただ暁の天(そら)を切ない心に待焦るるであろう。獣は所謂駭き心になって急に奔ったり、懼れの目を張って疑いの足取り遅くのそのそと歩いたりしながら、何ぞの場合には咬みつこうか、はたきつけようかと、恐ろしい緊張を顎骨や爪の根に漲らせることを忘れぬであろう。
 応仁、文明、長享、延徳を歴て、今は明応の二年十二月の初である。此頃は上は大将軍や管領から、下は庶民に至るまで、哀れな鳥や獣となったものが何程(どれほど)有ったことだったろう。(『雪たたき』より)

 あるいは露伴の俳句にも

老子霞み牛霞み流沙かすみけり
日や雨や狐嫁入る村紅葉
風死して霧おこり薄暮れにけり
しぐるるや家鴨も鴨のつらがまえ
しぐるるや潮来は古き遊女町
しぐれしぐる橋は十二の皆ほそき
斥候の十騎七騎をしぐれけり
雪の笹おとなき虎のあゆみ哉
長安の辻や落葉もおちつかず

というのがあります。一つめの「老子霞み……」は老子が牛に乗って函谷関から西に出ていくときの様子、「日や雨や……」は天気雨のことを狐の嫁入りというので、その幻惑的な色を村紅葉にしている句です。「斥候の……」は蕪村の「鳥羽殿に五六騎いそぐ野分かな」の趣きを少し変えたものだと思っていて、「長安の……」は賈島「憶江上呉処士」の「秋風吹渭水、落葉満長安」や周邦彦「斉天楽・秋思」の「渭水西風、長安乱葉、空憶詩情婉転……」から長安の落漠として広い辻に落葉があちこち吹かれながら転がっている様子を詠んでいます。

 露伴の俳句や文章って、そのときどきの匂いで言葉が歪むような雰囲気があって、歪ませて遊んでも伝統や本質から離れないで、むしろ歪めばゆがむほど真……みたいな詩風になっているのが美しいです。いろいろな形に姿を変えながらあらわれる出典(天秤座8度:荒廃した家の中で燃え盛る暖炉)と自在に遊ぶ言葉(獅子座11度:ブランコで気ままに奔放に遊ぶ水星)みたいな感じです。

 さらに、海王星と天王星も読んでおくと

天王星:蟹座12度  メッセージを持った赤ん坊をあやす中国人の女
海王星:牡羊座15度  毛布を編むインディアン

のようになっていて、この天王星はあまり濃く出ているように感じないのですが、強いていうなら蟹座12度は受け継がれているものを守るみたいなイメージなので、古くからみんなで共有されてきた言葉とか感覚とかをそのまま使う(たとえば「鳥が其巣を焚かれ」は『周易』旅・上九から)、それが蟹座天王星なので、人々から抜け出しつつ(天王星)、より深いつながりを持つ方法(蟹座)がそれだとしたら、さらに共有されてきた言葉や感覚をより本来の形やその場に合う形に変えながら用いる(「斥候の十騎七騎をしぐれけり」は蕪村の句の騒然とした趣きより、さらに殺伐陰森な雰囲気にしている)みたいな古い表現の混ざり方の複雑さに出ていると思います(蟹座天王星って、繋がりながら分かれていく感じがある……)。

 海王星は、牡羊座が自然なままでの生命に満ちた調和だとすると(天秤座は人工的な調和だと思う)、海王星は水星・金星に120度なので、毛布を編むインディアンのような生命と伝統の混じり合った積み重ねの中に生きているという幻想(インディアンは自然のままの秩序という意味でサビアンに多く出てくる気がする。牡羊座海王星は幻想味を帯びて生きていることだと思う)が、獅子座の個人天体であらわされる梟雄たちの依っている感覚だと思っていて、これがその時代を象徴する人物になったりするかもです。たとえば、氏郷や骨董の話はそれぞれ

 また人の世というものは、其代々で各々異なって居る。自然そのままのような時もある、形式ずくめで定りきったような時もある、悪く小利口な代もある、情慾崇拝の代もある、信仰牢固の代もある、だらけきったケチな時代もある、人々の心が鋭く強くなって沸りきった湯のような代もある、黴菌(ばいきん)のうよつくに最も適したナマヌルの湯のような時もある、冷くて活気の乏しい水のような代もある。其中で沸り立ったような代のさまを観たり語ったりするのも、又面白くないこともあるまい。細かいことを語る人は今少く無い。で、別に新らしい発見やなんぞが有る訳では無いが、たまの事であるから、沸った世の巨人が何様なものだったかと観たり語ったりしても、悪くはあるまい。蠅の事に就いて今挙げた片倉小十郎や伊達政宗に関聯して、天正十八年、陸奥出羽の鎮護の大任を負わされた蒲生氏郷を中心とする。(『蒲生氏郷』より)

 も一ツ古い談をしようか、これは明末の人の雑筆に出ているので、その大分に複雑で、そしてその談中に出て来る骨董好きの人や骨董屋の種々の性格風丰(ふうぼう)がおのずと現われて、かつまた高貴の品物に搦む愛着や慾念の表裏が如何様に深刻で険危なものであるということを語っている点で甚だ面白いと感ずるのみならず、骨董というものについて一種の淡い省悟を発せしめられるような気味がある……(『骨董』より)

のようにあって、氏郷は沸った世(戦国末期)の人、将門は平安中期の「頼朝が頤(あご)で六十余州を指揮する種子がもう播かれてあった」世の人、骨董で贋の定鼎をやり取りする人たちは「高貴の品物に搦む愛着や慾念」に取りつかれた世の人……みたいになっていたかもです。それぞれの人がその時代を象徴しながら、その中でもとりわけ大きい主役になるような梟雄的な人もいて……という様子です(どうでもいいけど、金星・海王星アスペクトが火星座で120度だと、幻想的な曲線の花器がゆらゆら溢れてうねっているような模様を帯びている感じになりそうで、これが金星・冥王星90度の暗い陰麗さと結びつくと露伴の「茫茫漠々たる水」になる気がする。この美意識は初期の『五重塔』其三十二にもあり、中期の『蒲生氏郷』などは水と火の滾り翻るような貌、末期の『連環記』ではゆるゆると何処からともなく繋がり合う水のようになっています)

 さらに、もう一つ面白いのが、個人的にブラックムーンリリスはその人の一生の裏テーマ的な出方をしている気がするのですが、露伴のチャートではサビアンが「水瓶座4度:インドのヒーラー」です。これは一人一流派的な前近代的な真理を知っていること(インドのヒーラーは、他の人が知らないような不思議な方法で人々を癒やすけど、その方法はそれぞれが独自の解釈や洗練を加えたもの)みたいな意味だと思うのですが、露伴はその時代・人物特有の技・手管のようなものを書きます(技の在り方が、一つの時代や価値観を象徴する雰囲気を持っている、という読み方です)。

 政宗は無念さの余りに第二の一手を出して、毒を仕込み置いたる茶を立てて氏郷に飲ませた、と云われている。毒薬には劇毒で飲むと直に死ぬのも有ろうし、程経て利くのも有ろうが、かかる場合に飲んで直に血反吐を出すような毒を飼おうようは無いから、仕込んだなら緩毒、少くとも二三日後になって其効をあらわす毒を仕込んだであろう。氏郷も怪しいと思わぬことは無かった。然し茶に招かれて席に参した以上は亭主が自ら点じて薦める茶を飲まぬという其様な大きな無礼無作法は有るものでないから、一団の和気を面に湛えて怡然として之を受け、茶味以外の味を細心に味いながら、然も御服合結構の挨拶の常套の讃辞まで呈して飲んで終った。そして茶事が終ったから謝意を叮嚀に致して、其席を辞した。氏郷の家来達も随って去った。客も主人も今日これから戦地へ赴かねばならぬのである。

 氏郷は外へ出た。政宗方の眼の外へ出たところで、蒲生源左衛門以下は主人の顔を見る、氏郷も家来達の面を見たことであろう。主従は互に見交わす眼と眼に思い入れ宜しくあって、ム、ハハ、ハハ、ハハハと芝居ならば政宗方の計画の無功に帰したを笑うところであった。けれど細心の町野左近将監のような者は、殿、政宗が進じたる茶、別儀もなく御味わいこれありしか、まった飲ませられずに御ン済ましありしか、飲ませられしか、如何に、如何に、と口々に問わぬことは無かったろう。そして皆々の面は曇ったことだろう。氏郷は、ハハハ、飲まねば卑怯、余瀝も余さず飲んだわやい、と答える。家来達はギェーッと今更ながら驚き危ぶむ。誰そあれ、水を持て、と氏郷が命ずる。小ばしこい者が急に駛(はし)って馬柄杓に水を汲んで来る。其間に氏郷は印籠から「西大寺」(宝心丹をいう)を取出して、其水で服用し、彼に計謀あれば我にも防備あり、案ずるな、者共、ハハハハハハ、と大きく笑って後を向くと、西大寺の功験早く忽ちにカッと飲んだ茶を吐いて終った。(『蒲生氏郷』より)

 王廷珸(おうていご)字は越石という者があった。これは……性質の良くない骨董屋であった。この男が杜九如の家に大した定鼎のあることを知っていた。九如の子は放蕩ものであったので、花柳の巷に大金を捨てて、家も段々に悪くなった。そこへ付込んで廷珸は杜生(杜九如の子)に八百金を提供して、そして「御返金にならない場合でも御宅の窯鼎さえ御渡し下されば」ということをいって置いた。杜生はお坊さんで、廷珸の謀った通りになり、鼎は廷珸の手に落ちてしまった。廷珸は大喜びで、天下一品、価値万金なんどと大法螺を吹立て、かねて好事で鳴っている徐六岳という大紳に売付けにかかった。徐六岳を最初から廷珸は好い鳥だと狙っていたのであろう。ところが徐はあまり廷珸が狡譎なのを悪んで、横を向いてしまった。廷珸はアテがはずれて困ったが仕方がなかった。もとよりヤリクリをして、狡辛く世を送っているものだから、嵌め込む目的がない時は質に入れたり、色気の見える客が出た時は急に質受けしたり、十余年の間というものは、まるで碁を打つようなカラクリをしていたその間に、同じような族類系統の肖(に)たものをいろいろ求めて、どうかして甘い汁を啜ろうとしていた。(『骨董』より)

 一つめは政宗が毒の茶を出すかもしれない席で、氏郷がどのように上手く抜け出すかの話です。乱世の人は、どのように毒茶が出されるかもしれない場で生きて帰るか、どのように人に毒を出すか、どのように備えを隠すか等の読み合いが題材になっている感じがあります。二つめは骨董を「旋売旋買(嵌め込む目的がない時は質に入れたり、色気の見える客が出た時は急に質受けしたりすること)」している人がどのようなやり方で客を騙しつつ生活しているかが書かれています(この話は中国の随筆に出典があるのですが、原文では「旋売旋買」しか書いてないのを、露伴の作品では裏に隠し持っている手法が異様に豊かに書かれます。

 インドのヒーラーは、水瓶座のそれぞれに独自の方法を深めるという面が強く出ているサビアンだと思うので、人間がもっている技法や手管、心術、方術などを多彩に極めた様子が作品の裏の主題として通じている感じがあります(表向きは獅子座太陽的な、一つの時代を象徴する人の話なのに、その裏の主題はその人すら一つの偏った手法に依っている、若しくは主役は梟雄なのか手法・文化なのか、若しくは冥王星が表す運命・数を知ることなのか……ということを書きたいのかもです。(『雪たたき』下でその時代特有の心情や論理がどのように交渉の中に含まれているかを想像するみたいな作品は、露伴の視点がないとそういう文章にそもそも出来ないと思います)。この梟雄なのか史料なのか運命を知る人なのかがそれぞれに見えることを重ね合いながら、互いに少しずつずれて歴史に嘘と小説(不思議な話)が溜まっていく様子を書いているのが露伴作品の魅力だと思います。

(ちなみに、渾沌は混沌と同じで、『荘子』応帝王篇に「南海の帝を倐、北海の帝を忽といい、中央の帝を渾沌という」とあって、倐と忽はわずかな間の意、渾沌は漫々として霈々として、沸々として洶々として玉環の相連なるが如き水です。)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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