文学

山尾悠子  冬は短し眠れよ乙女

 かなり間が空いたわりにいきなりこんな記事をあげてあれなのですが。

 まず、山尾悠子さんのホロスコープはこんな感じです(ハウス・月は推測)。

 とりあえず目につくのはグランドクロスです。さらに独特なのが、このグランドクロスは180度のところにそれぞれ一つのメディエーションを持っているというかなり複雑な複合アスペクトになります。

 そして、これらはすべて金星を説明するようなアスペクトと云えるのですが、サビアンシンボルを出してみると次のようになります。

金星:水瓶座24度 情熱に背を向け自分の経験により教えている男
火星:牡牛座20度 新しく形成される大陸
木星:蟹座20度 セレナーデを歌うゴンドラ乗り
土星:蠍座21度 職務放棄兵士
天王星:蟹座24度 南に向いた太陽に照らされたところにいる女と二人の男
海王星:天秤座28度 輝きを増す影響力の中心にいる男
冥王星:獅子座25度 砂漠を横切る大きなラクダ

 これだけみるとスプラッシュ型のようにも見えますが、もう一つ特徴的なのは蟹座~蠍座にかけては社会天体・トランスサタニアン、水瓶座~牡牛座にかけては個人天体というふうになっていて、これはスプラッシュ型に似ているけど、実際はシーソー型に近いものがあるような気がする。

 さらに、グランドクロスは四季のすべてに天体があることになるのですが、水瓶~牡牛座はみずからの身、それ以降は周りの世界みたいな意味になりそうで、シーソー型の中でも金星が特に周りの世界が作ったものを受け止めるような場所にあって、アスペクトの結節点にもなっているので、金星が特に重いホロスコープだと思います。

 牡牛座の火星は新しく形成される大陸のように、(牡牛座20度は第四グループの所有への葛藤を経て、再び所有することを新たに強めた姿とすれば)疾風怒濤の青金石色の春の嵐を経て、穠然たる草の茂る野のような艶やかさ、そのとき人々は火星のごとく奔放に遊びまわる。火の色は赤、赤はもっとも熱い感情の色。ひがし山のヒワは勘がいいので、火星の色がよく見えた。

 春はまだ藪になった麻も濛々と茂る前なので、男爵家はあちこちに別館を建てて、まだペリットの骨たちの絡まり合う前のようにすっきりとしている。

 まぁ、色々あるけどとりあえず草昧のときは火星の領域。

 季節がすすんで梅雨のだいふく寺になると、そこは春雷の舞う昼遊びの聖域。木星と天王星はセレナーデを歌うゴンドラ乗りの、境内をめぐる運河の唄に

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

 世は今さかりの花盛り、躑躅の色は紅紫に日は午なり。口の乾く陽射しを受けて、蓮葉の一々に揺れて、このときはまだ火星の奔放さの醒めないときなので、思うがままに遊ぶこともできる季節。

 それが夏になると、獅子座の25度は獅子座らしさをより拡大して完成させた度数なので(23度は純化した完成、25度は拡大した完成だと思っている)、砂漠のような苦しみがあったとしても、それでも変わらず歩き続けている駱駝のような独尊性を帯びている獅子座ということになります。

 この獅子座25度のあるのが冥王星なので、山尾さんの世界では最も重い力を持っているのは、砂漠のごとき苦しみを経ても生き残っている「冥王星(滅びと再生を繰り返す何か)」という意味になるのかも知れないです(これがグランドクロス・メディエーション全ての天体につながっているので、金星と並んで効いている天体だと思う)。

 この滅びと再生は、どこまでも成長をつづけて複雑に流れている芝、あるいはそれを見ている塔になったり、植物暦のような構成、あるいは「不燃性について」の街で徒長を続ける岩たちなどに現れている気がする。

 この成長の原理は、実は感情と知性の相剋という意味を裏に蔵しているのはこれから書いてみたいと思っているのですが、大きくいってしまうと火星は感情、金星は知性のことになり、牡牛座は極彩色、水瓶座は無彩色の世界ということになります。

 というわけで、季節は秋に遷るのですが、その前に海王星を小さく挟むことになって、この海王星は冥王星の重々しさを和らげています。たぶんですが、天秤座のサビアンシンボルって、読んでみると八方美人・社交的という意味より、みずからの想う完全な調和を人工的に作っていく・人類を彼岸に導く的な雰囲気のあるものが多くて(一方、牡羊座は自然のままでの調和という意味が多い気がする)、この場合はみずからがその調和の中心にいるような様子をあらわしていることになる。

 これとすぐ近くにいる土星のサビアンが、蠍座20度 職務放棄兵士(みずからの思うことに従って、蠍座的な粘着から離れること)だとすると、この海王星・土星がそれぞれ木星天王星合・冥王星とスクエア・トラインを取っているというのが山尾悠子さんのホロスコープの大きい特徴の一つだと思っていて、

木星・天王星合:蟹座の中でも、感情による多少の不穏さ・不均衡があっても(天王星:南の島に漂着した男女三人)、その偏りのある中でつながりを拡大する(木星:セレナーデを歌うゴンドラ乗り)

冥王星:砂漠の中にあっても悠然と歩いていく駱駝のような、絶対的な大きい流れのようなもの

とそれぞれが葛藤しつつ馴染んでいる様子を、個人的には守護聖人のように感じています。

 守護聖人って、それぞれの街ごとに特色ある人を祀っていて、たとえばアッシジのフランチェスコは雀を愛していたけれど、元々の宗旨にある教えではなくて独自にみずから思うところに従って、それを楽しんだり遊ぶように信仰しつつ(冥王星的な大きいものから外れつつ含まれているような)、一方でみずからの感情的な楽しみの方を重んじているようにもみえて(木星・天王星合とトラインになっている土星)……という複雑な関係がありそうです。

 これらが全て金星(美しさ)に関わるアスペクトだとすると、

 その頃わたしは古い運河に潮のにおいが混じる地方の廃市で暮らしていて、じぶんが何歳なのかも正確には知らなかった。戸籍制度はまだ生きていた筈だったが、就学しないものが大部分になってからは誰もそのような紙切れなど眼にする折もなかったし、何より時間の流れが澱んだような地方の暮らしに埋没していると、じぶんがいつまでも子供のままでいるような気がしていたものだ――前々世紀までは紡績の町だったというこぢんまりした町並みを今でもよく思い出す。商家の多い瓦屋根の海を早く暮れさせる低い山々、春と秋にはまだ律儀に祭りの幟が立っていた寺社の参道、塩害のために枯れ果てて久しい柳並木。

……従姉妹のひとりが黒いワンピースの胸あたりを布地越しに押さえた。奇跡のメダイや聖人のメダイはわたしたち皆が持っているもので、教会の売店で安く買えるものの他に何人かは古い銅のメダイを持っていた。聖書を持って肩に小鳥を止まらせた聖人はきっとフランチェスコ様で、でも何故そのメダイが伝わっているのか誰も説明できなかった。(『ラピスラズリ』トビアス)

のように、滅びと生成の神(冥王星)とその中で遊ぶことを知る聖人(土星・海王星)は、人間が石を積み上げて作ったものとは到底信じられないほど大きく古びた石の竈の如く塗り重ねられて冷え寂びた信仰、あるいはグランドクロス・メディエーションの相剋と慰めを美しさとする感覚だと思います。

 山尾さんの作品は、『ラピスラズリ』は水瓶座金星の状態で始まった物語が、幾重にも絡まり合って錆び付いて繊細な制約たちの相拒み、ひきよせる解きがたさ、『飛ぶ孔雀』は春の中洲から始まって真夏の大茶会と成長する芝、熱を失って岩が伸びる秋から冬の出来事と春の目覚めというように、この循環を題材にしているようで、『歪み真珠』の掌編たちもそれぞれ循環の一部を取り出しているようにみえるのですが。

 ちなみに太陽はノーアスペクトで、サビアンシンボルは牡羊座4度:人目につかない歩道を歩く二人の恋人なので、それは春の目覚めの前にあるひとときの幸福。

 雑木林の山に向いている筈の窓はどれも白い霧だらけで、他に見えるものは何もなかった。みしみしと音をたてるように動いていく鈍い明るさの霧、たぶん厳冬期でもまだ春先でもないと思われる曖昧な時間の真っ白な濃霧。

冬は短し眠れよ乙女。いざ手をとりてかの舟に、いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に。古く寂しい街のうえ。

 どうでもいいですが、この写真は、大学四年のときに戸隠神社にいったときの風景で、

 薄色の陽射しを漉して黄変していくカバやケヤキ、真紅のカエデ、浅緑の木立ちと金色のブナの樹林に混じる緋色のナナカマド。秋の日の終日をひそひそと森の日蔭の窪地を辿って歩き続けるうちに、やがて枯れ葉の囁きが耳に憑くようになった。この道を辿るのは初めてのことだったが、きりもなく葉を落とし続ける晩秋の彩りの森でじぶんがどこを目指して歩いているのかわからなくなっていた。霜焼けの黒で縁を縮らせた真紅の葉や灰色の茸、羊歯の葉脈などの一つ一つが雫が落ちるように眼に溜まって溢れ出していった。沢づらいの道を辿り、ようやく森の切れ目に館の尖塔の銅屋根が反射するのを見つけたとき、だから歩き疲れたかれは心底安堵したのだった。(『ラピスラズリ』竈の秋)

の風景にすごく似ていると思ってます。あと、「雑木林の山に向いている筈の……真っ白な濃霧。」は『ラピスラズリ』トビアスより引用、途中に何度も入ってくる詩は「ゴンドラの唄」(一部変えたところあり)です。文章的に引用元を入れると流れが悪かったので、ここで書いておきます……。

(ちなみに、山尾悠子さんの作品で読んだことがあるのは『ラピスラズリ』『歪み真珠』『飛ぶ孔雀』『山の人魚と虚ろの王』の四つだけなので、もしかするとそれ以外の作品は違う雰囲気なのかもですが。)

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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