サビアンシンボル

12の月の永劫回帰

蠍座は生と死の星座。死と生の星座。
最も深い感情の淵を感じ、そこから蘇る黒い龍。

その龍は毒の鱗と毒の猛煙をまとい、ごうごうと天に立ち昇る。
故に曰く「蠍座の30度は、十二の月の永劫回帰」と。
十二の月は永劫に回帰するときに、黒い混沌の龍を求めるのだ。

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黒い龍の住む淵は、破壊された廃墟たち、古い街――それはヴェネチアの地下のように――の沈むところで、
龍たちはその廃材から生まれるのだ。
龍たちは黒い普遍、黒い気分、葬られた巨獣の骨、波濤(なみ)が溶かした古い夢を巣にしつつ、それを喰らい、大きくなってHalloweenの日に現れる。それは死者が還る日という点で似つかわしい。

ランタン、ランタン、通りゃんせ。
ここは何処の細道じゃ、龍神様の細道じゃ。
茄子の小牛に胡瓜の小馬、南瓜の灯りの霊光は
翩陸離兮紛紛、ランタンランタン、通りゃんせ。

永劫回帰とは、永遠にこのような人生が繰り返されてもいいと思うこと。
(ウサギたちの戯れ/ウサギは十月終わりの月に遊ぶ。月の宮殿は閑散としている)
ニーチェ「悲劇の誕生」では世界形成の力を、蠍座15度 石をあちらに置いたり、こちらにすえたり、砂山を築いてはまたくずして遊んでいる子供にたとえたのだ。

原始、世界は黒い龍たちの絡み合う混沌であった。黒い龍は美しい。
その輝きは高貴な紫を帯びて、光を受けて深い海の青を帯びる。
故に曰く「黒い龍たちは、永劫回帰祭で祀られる」。

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火盗みのプロメテウスは、神と人とが並(ひと)しかった世の象徴である。
これには深い理由がある。
神々の占有していた火を盗みうる、とは人と神は並(ひと)しく関わり得るからで、人と神は離(た)たれてしまえば人は神からものを盗り得ないのだから
その頃の世は、おそらく神と人とが並んでいたのである。
世界は滅びる為なら、何度でも蘇る。
ランタンランタン、通りゃんせ。
くたびれて乾いたものを焼き捨てる喜び、それは秋の終わりに落ち葉を盛大に燃やすこと、
それによって悪い霊を追い儺い、先祖の霊を招く喜びに似ている。
また、盛大に飾り立てたHalloweenの祭壇、南瓜の燈明などを、祭りが終わると川などに容赦なく捨ててしまう気持ち良さにも似ている。
それはちょうど子供が、さっきまで作っていた砂山が、潮が満ちるとともに壊れていくのを眺める気持ちのように空しくて美しい。
たったひとときの永劫回帰――。


人は何故、自死したいと思うのだろうか。
一つの理由としては、この世に敢然と抗ったことを褒めさせたいから、かもしれない。
自死を望む感情は、一種の昏睡的要素をふくんでおり、日常においての禁欲的な不条理、あの嘔吐をもよおさせる世界からは深い溝で断ち切られている。
自死を望む昏睡、あの敏感で純粋きわまりない深淵は、その淵の上に築き上げられた輝かしい生存、底の浅い明快な愚かさを呪い、嘲笑するのだ。
その嘲笑は薄明かりのように神秘的な毒がある。
その毒はときとして噛みついて蜿蜒(のたう)ちまわる蚯蚓のように滑稽な敗北に終わることもあるが、
一方でときに原始の黒い龍の群れが満ち潮を負って押し寄せてくる衝動、
この混沌の中での衝動こそ、プロメテウスの火盗みの瞬間になる。

□□□
黒い龍は埋め立てられた深淵の、棘だらけの淵に住んでいる。
それは龍自身は追い立てられたと思ってもいるが()。
ランタン、ランタン、通りゃんせ。
ここは何処の細道じゃ、龍神様の細道じゃ。
隠者はこの世の陰惨な吐き気を一度みて、忘れることができないから隠者になったのだとあるが、
隠者がそれでもたまに山を下りるのは、淵の龍に会いたくなるからなのだろう。
これは隠者を責めるべきでもなく、褒めるべきでもない。
ただ隠者も枯れそうに見えて、生きることを望んでいる為なのだ。
私もかつては隠者であった。

隠者は云う「ところで君は、何で王朝の爛熟期の文化は頽廃的で享楽的なのか、耽美的なのかわかるかね?」
私は「知らない」という。
隠者もその理由は知らなかった。
淵の龍は云う「龍にも幾つかの種族がある。
小さい龍はその神通も小さく、大きい龍は昂然として、三百年鳴かず飛ばざれども、一たび鳴けば乾坤和鳴して竹折るる声、樹裂くる声、物凄じく天地を睥睨して、一たび飛べば殺気陰森として大暴風の気品を瀉ぐ。
小さい龍は院落の蓮池にも在り、大きい龍は深い淵に在り」と。
ゆえに曰く、蠍座は生と死の星座。死と生の星座。
最も深い感情の淵を感じ、そこから蘇る黒い龍。
その龍は毒の鱗と毒の猛煙をまとい、ごうごうと天に立ち昇る。
それは春だったら春の目覚め、秋だったら眠りの前に疲弊老衰したものを吐き出させる祭りの起源である。

□□□
黒い龍は造物主と同義である。
古い龍は多彩な徳を兼ね備えていたが、
新しい龍にその多彩な徳を分けることで宮室の奥に祀られるようになり、
さらに奥へ行きすぎた結果、裏口から裏庭の庭で祀られるようになった。
しかし、小さい龍は神通が小さいので、
行き詰まると大きい龍に出てきてもらうことがある。これがHalloweenの起源である。
隠者はHalloweenを傍観する、私は――。

その日だけは、世界は龍の庭となる。
(これは蠍座30度 ハロウィンの悪ふざけについての僻説)

  擬九歌 十二首(九歌に擬す 十二首)
牡羊座の神は生きるものを愛でる神、鳥の多い雪解けの池。霞たなびく春の野に、その夕影に鶯鳴くも、この倉垣は見尽せず。
牡牛座の神は目に見えるものを愛でる神、繽兮紛兮、翠碧の羽翮(はね)の粉を散らしたるごとく、さらさらと絨緞を敷(ひ)けり。
双子座の神はみずからの周りと遊ぶ神、賑やかにして軽やかな神。
蟹座の神は属するものを愛する神、その旗の名は「わが上に翻したる旗は愛なりき」。
獅子座の神は自らの光を届ける神、雲に古い文字の符を浮べたり。
乙女座の神は些細なことを重んじる神、
天秤座の神は崩れたものを整える神、微細微細、均衡、均質。
蠍座の神は生きることは狂乱を持つと知っている神、ディオニュソス、破壊と狂乱は燃える紅葉の美しさ、緋色に透いたナナカマド、晩秋の露を浴びる狂乱と彷徨、黄昏の音楽。
射手座の神は遙かな高みを夢見る神、冬の初めの豊かに澄んだ陽の光と
山羊座の神は世を堅めることを求める神、冬の最中の暗い城館たちの話し合い。
水瓶座の神は普遍の真理に遊ぶ神、時のない花に満たされた野は、十二の花の歯車が散る。
魚座の神は誰も知らない夢を見る神、白い霧が晴れていく夜明け前のひととき。

蠍座は生と死の星座。死と生の星座。
最も深い感情の淵を感じ、そこから蘇る黒い龍。
その龍は毒の鱗と毒の猛煙をまとい、ごうごうと天に立ち昇る。
故に曰く「蠍座30度は、十二の月の永劫回帰」

(「わが上に翻したる旗は愛なりき」の一節は、山尾悠子さん『ラピスラズリ』トビアスより引用しました)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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