創作・エッセイ

エッセンシャル・ディグニティの表を味わう

(今回の記事は夢葉ねこさんの投稿を引用しまくって書くのですが、無許可で載せているので、本家と違う意味になっていたりするところがあるかもです。こんな記事に使ってしまい失礼しました……。2023/10/11追記:久しぶりに開いてみたら Twitter→X なったときにリンク機能がやられたっぽいので、ちょっと見づらいです……)

 占星術を始めた頃はエッセンシャル・ディグニティの表をみて「……何、これ?」みたいな感じだったのですが、古典ではサインとハウスについて、サインは天体がその天体らしく在るか、そのような色がついているか、ハウスはその天体が表に出やすいか、どんなときに出てくるか、みたいに解釈していて、モダンだとサイン・ハウスが混同されることもあるけど、例えば山羊座と10ハウスで「社会に役立つこと」という語彙はどちらにも関わるけど、山羊座の「伝統や秩序を重んじる」という意味は10ハウスには無いし、10ハウスが仮に天秤座だったら人々の間に調和を与える形で社会に役立つような……みたいな違いがあって、ハウスごとに在室天体やハウスルーラーの状態がどうなっているのか、その天体は自然に動けるか、あるいは本来の性質に合わないことをさせられているかを見るためにエッセンシャル・ディグニティって良いかもしれない……と思ったりしています。

(そんなことを云いつつ、純粋な古典派という訳でもないので、デトリメントはデトリメントなりの活かし方がある、というモダンの解釈も好きですが)

 例えば、天秤座と牡牛座はどちらも金星をルーラーにしているけど、天秤座は痩せていて、牡牛座は豊満(全てがそうではないけど、そういうイメージで語られがち)というのは、夢葉ねこさんがこんな感じでいってます。

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「天秤座の金星はオシャレ番長!って感じで牡牛座の金星はグラマラスマダムって感じなんだけどその辺はニュアンスで理解して頂けると助かります😇」 / X (twitter.com)

 これは個人的な感覚だけど、牡牛座はエグザルテーションが月、天秤座はエグザルテーションが土星で、月はみずからが心地いいことを好むので、好きなものばかり食べている、土星は山羊座(骨)とも関わりがあるので、絞り・洗練が利いていて「博士の申し文」のごときセレモニーの華やかさと格式みたいな雰囲気(金星が式典の場に飾られる花だとしたら、そこで読み上げられる挨拶の荘重な雰囲気は土星っぽい)だと思います。

 あと、蟹座の火星って、けっこう不思議なものだと思っていて、これについて福本基先生の『基礎からわかる伝統的占星術』(古典占星術についてすごく参考にしています)では

 エッセンシャル・ディグニティの表の不思議な点を説明しましょう。蟹サインの行をみてみましょう。蟹のサインにおいて、火星がトリプリシティです。しかし、火星はフォールでもあります。これをみるとなんだか不思議な感じがすると思います。蟹のサインにおいて、いつもトリプリシティとフォールを火星は得ているというのは、一体どういうことなのでしょう。足しあわせたら-1点ですから、そんなに悪い状態でもないかなと思うかもしれないですが、それは点数しか見ないときに陥りがちな間違いです。この謎は麻薬中毒の人に置き換えて考えるとわかりやすいです。フォールというのは、身体が普段より落ち込んでいる状態です。身体が落とし穴に落っこちるのと依存症は同じですから、依存症はフォールです。トリプリシティというのは、心地よい状態ということになります、つまり、麻薬中毒者というのは麻薬を使っていて、体に不調をきたしているけども、それはそれで心地よいという状態になるわけです。端から見れば、あわせて-1点ですから少し落ち込んでいる程度に見えるかも知れません。しかし、身体の中では点数以上に複雑なことが起こっているわけです。(220~221頁)

のように書かれていて、古典とモダンを混ぜているようで双方から嫌がられそうなことを書くと、夢葉ねこさんの書いている

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「かにたんパワーワード、ぎりボツにした奴。 https://t.co/J2FwmbBOk5」 / X (twitter.com)

っていう蟹座の奇声は、蟹座が一定の限界を超えて火星を抑えられなくなって、怒りと狂乱状態に陥りながら(フォール)、惰性と感情に任せてしまう面(トリプリシティ)をすごく上手く表している感じがありませんか……(古典は天体、モダンは星座を主体にして読んでいるイメージがあるけど、モダンで出てくる星座のキャラの中にも古典で各天体にどのようなディグニティを与えているのかを感じられたり)

 火星については、山羊座の火星も味わい深いと思っていて(どうでもいいけど、エグザルテーションの天体的に、地星座の中でも牡牛座は水、乙女座は風、山羊座は火っぽさがある)、土星の硬い秩序の中に、一種の生々しく荒々しいものが入ってくる感じがあります。比喩として近いか分からないけど、宮廷のようなところで、盛期の宮廷では高い身分の人たちが占めていた位に、末期の崩れかかったときに異様な興奮と晩照を帯びながら蠍座的な毒々しさと牡羊座的な勢い任せの感じが入り込んできて、却ってそういうものが高い位についている雰囲気に近いような(院政期の後白河法皇や祇王などのイメージが近いかも)。

 山羊座の秩序って、一種の黒さ、荒さも含んでいて、蠍座の火星が感情的に粘りついてくる感じだとしたら(これについては後で書きます)、山羊座の火星って禍根を早くに断っておくことで復讐する者を根絶やしにして潰し切る、みたいな匂いがすると思います。

 その様子を感じさせる夢葉ねこさんの投稿で、こういうのがあって

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「地ーズ 激おこ 牡牛座「絶対許さない!!とりあえずもぎ取ってくる!!」 乙女座「おう!データは全て揃った!反論の余地を与えぬ程徹底的に理論武装だオラァ!!!」 山羊座「君たち落ち着きたまえ、ここは時間をかけて一つ一つ可能性を潰していこう。社会的にも再起不能にしておかないとね」」 / X (twitter.com)

山羊座の火星は、邪魔になる派閥や一族を抑え込んで根絶やしにするように焼き尽くす雰囲気です。

 エグザルテーションつながりで牡牛座の月・魚座の金星についても書いてみると、牡牛座は金星がドミサイル、月がエグザルテーションなのですが、牡牛座そのものの性質としては物質的・五感的な豊かさを楽しむことなので、金星はその楽しみや美しさなどの物質・五感的なものをあらわして、月は感情です。

 牡牛座で金星が最も状態がいいのは、五感的な楽しみをあらわす天体が五感的な楽しみをあらわす星座に居るためなのでわかるのですが、五感的な楽しみをあらわす星座に感情的に満たされることをあらわす天体が居ると状態が良いというのは、個人的にはこの話を思い出します。

 雪の朝 利休居士、絽知を訪う事あり。主喜んで出迎えたりしに、居士袂より香爐の、いと暖かに火取たるを出し、あな寒しとて渡せば、あるじ左の手して取り右の袂より又火取たる香爐を出し、いと寒候とて客に渡してかへたりけり。かかる折は、かたげに(稀なほどに)心ばへの優にやさしくて、めで度く香を聞くよりも猶こうばしくもおぼゆ。(田能村竹田「葉のうらの記」より)

 めずらしい香を飾った部屋の中で楽しむのが牡牛座の金星だとしたら、その香について深い思いを感じながら楽しむのが牡牛座の月の豊かさ、みたいな感じです(たぶん)。

 これが魚座の金星になると、もともと魚座は木星あるいは海王星のどこまでも茫洋と広がっていく感情の瀾みたいな世界なのに、却って金星の官能性や五感の美しさみたいなのが重なってきて、たぶんこんな感じになります。

  ほのかなるもの
ゆめはうつつにあらざりき。うつつはゆめよりなほいとし。まぼろしよりも甲斐なきはなし。

幽かなるこそすべなけれ。美しきものみなもろし。尊きものはさらにも云はず。

ひとのいのちはいとせめて、日の光こそすべなけれ。麗かなるこそなほ果敢な。星、月、そよかぜ、うすぐものゆくにまかする空なれども。

ふりそそぐものみなあはれなり。雨、雪、霰、雹に霙、それさへたちまち消えうせぬ。

土に置く霜、露のたま、靄、霧、霞、宵の稲づま、ほのかなれども水陽炎のそれさへ頼むに足るものなし。

煙こそあはれなれども、捉へられねばよしもなし。山家にゆけど、野にゆけども、水のながれを堰(せ)くすべもなや。……

色ならば、利休鼠か、水あさぎ、黄は薄くとも温かければ、卵いろとも人のいふ。……

花と云へば、風鈴草、高山の虫取菫、蒜の花。一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草、まことの花を知る人もなし。……

あはれなるもの、木の梢。細やかなるもの、竹の枝、菅の根の根のその根のほそ毛、絹糸、うどんげ、人参の髯。……

影はなによりまた寂し。踊子のかげ、扇のかげ、動く兎の紫のかげ、花瓶のかげ、皿に転がる林檎のかげはセザンヌ翁をも泣かすらむ。……

誤ち易きは、人のみち、算盤の珠。迷ひ易きは、女衒(ぜげん)の口、恋のみち、謎なぞ、手品、本郷の西片町、ほれぼれと惚れてだまされたるかなし。……

まんまろきもの、輪のごときもの、いつまでも相逢はず平行ならびゆくもの、また廻(めぐ)るもの、はじめなく終りなきもの、煙るもの、消(け)なば消(け)ぬかに縺れゆくものみなあはれ。……

うつつをゆめともおもはねど、うつつはゆめよりなほ果敢な、悲しければぞなほ果敢な、幻よりもなほ果敢な。

(北原白秋「観相の秋」より「ほのかなるもの」)

 海王星は金星の1オクターブ上とされるけど、美しい欺瞞、霧、靄、嘘、幻、魚座はそこはかとない悲しみ、ぼんやりとした美しさみたいな意味なので、この詩は一種の物づくしだとすると、海王星は形のないもの、金星は感覚的な美しさなので、その感覚的な美しさが実体の曖昧でぼんやりと儚い感じになった様子を描いている雰囲気が、魚座金星っぽいです(めっちゃ憧れる)

「ゆめはうつつにあらざりき。うつつはゆめよりなほいとし」って、「ゆめ(海王星)はうつつにあらざりき(形のないもの)。うつつ(形のある美しさ、金星)はゆめ(海王星)よりなほいとし」みたいに占星術的に読むと読めそうです笑。

「美しきものみなもろし」も魚座金星の漂わせる儚げなこと、「ふりそそぐものみなあはれなり。雨、雪、霰、雹に霙、それさへたちまち消えうせぬ」なんて海王星のぼやぼやしたものを全て並べている感じがあって、それでいて雨や雪、霙や霰がぼんやりと暗い輝きを帯びていること、それがすぐに消えてしまうことを云っているのも魚座的です。

「色ならば、利休鼠か、水あさぎ、黄は薄くとも温かければ、卵いろとも人のいふ。……花と云へば、風鈴草、高山の虫取菫、蒜の花。一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草、まことの花を知る人もなし。……あはれなるもの、木の梢。細やかなるもの、竹の枝、菅の根の根のその根のほそ毛、絹糸、うどんげ、人参の髯。」のところも、綺麗に飾られ過ぎてない感じ、一鱗しか見えてなくて、まだ他にどんなものが広がっているかわからない不思議さ、知り得ない感じが魚座っぽいです。魚座の金星って、牡牛座だとキラキラしたものがたくさん積み重なっていて、天秤座だと綺麗にみえるように整えて置かれている感じなのに比べて、物そのものはそれほど綺麗じゃなくても隠約変幻している雲や瀾、その間に漂う金襴のような色みたいな感じで、それが「あはれなるもの、木の梢。細やかなるもの、竹の枝、菅の根の根のその根のほそ毛」のように雨や霧を纏っている姿まで見えての「あはれなるもの、細やかなるもの」なのかも……みたいに思います。「利休鼠・水あさぎ・卵いろ」もその周りの色や物があってこその色みたいな感じです。

「謎なぞ、手品」は欺瞞・嘘・ごまかしのルーラー海王星とつながるので、それらを美しくみせる様子を古典の理論では魚座の金星にしたのかもみたいに思うし、「本郷の西片町」は住所の番地が不規則な形に並んでいて、訪ねたい人の家にたどり着けないことが多かったので「まんまろきもの、輪のごときもの、いつまでも相逢はず平行ならびゆくもの、また廻(めぐ)るもの、はじめなく終りなき」霧や靄の藪に入ったような感じです。言葉の藪は謎々・嘘、わずかな蔭に人を引き込みまんまろく回らすことかもですが。

「うつつをゆめともおもはねど、うつつはゆめよりなほ果敢な」は「うつつ(魚座金星)をゆめ(海王星)ともおもはねど、うつつ(魚座金星)はゆめ(海王星)よりなほ果敢な」「消(け)なば消(け)ぬかに縺れゆく」ゆえ「悲しければぞなほ果敢な、幻(海王星)よりもなほ果敢な」ですね。
(こういう滅茶苦茶なこと書くと、占星術ブログっぽいです。エグザルテーションって、星座の意味を天体がより美しいバランスにするように補っている感じがあります)

 ちなみに、うおたん(魚座)は木星と金星(どちらも吉星、ゆるゆるふわふわ)が利く星座、山羊座は土星と火星(どちらも凶星、冷厳にして苛辣)が利く星座なので、夢葉ねこさんの投稿でこういうのをみると

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「□ 魚座「さっきやらかした奴が気になってヤバいです。落ち込んでるワタクシを励ましてください!!」 射手座「そうか!!何かよく分からんけど大丈夫だ!!!!」 魚座「やったーー!!大丈夫な気がしてきましたぁあああーーー!!!」」 / X (twitter.com)

さっき書いた山羊座の土星(悲観・冷酷)と火星(斬伐・攻撃)の組み合わせと全然違っています笑。

 そういえば、火星つながりなのですが、蠍座の火星って全天中最もエッセンシャル・ディグニティが高い(ドミサイル+5、トリプリシティ+3、0~6度のターム+2、第一フェイス+1で合計11点)だったりして、夢葉ねこさんのさそりん名言集

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「ごめん……何故かどうしても……蠍座が……こんな感じになっちゃって…… https://t.co/Ors8R6e15Z」 / X (twitter.com)

Xユーザーの夢葉ねこさん: 「わ、わたしはさそりん好きだよ!!ホントまじで!! https://t.co/xHuuQk6AoP」 / X (twitter.com)

の雰囲気とすごく合っています(個人的に水星座の観察のうまさが本当に楽しいです……)。どうでもいいですが、蠍座火星の「終わらん‼まだ終わらんぞ!!!!」の話って、これを思い出します。

(平清盛を突然襲おうとした源義平が捕えられて刑される場面で)六条河原において誅せられけるに、敷き皮の上になおって(居直って)、……難波三郎(刑吏)「これは何の後言を言わせ候ふぞ」とのたまへば悪源太(義平)あざ笑いて「……やれ、おのれは義平が首討つほどの者か。晴れの所作ぞ。よう斬れ。悪しう斬るならば、しゃ面に喰い付かむずるぞ」とのたまえば、(難波三郎)「痴(おこ)の事仰せらるるものかな。何条(どうして)我が手に懸奉らん首の如何でか面(つら)に喰い付き給わん」と申せば、「まことにただ今喰い付かんずるにはあらず。終(つい)には必ず雷となって、蹴落とさんずるぞ」とて、殊更首高らかにさし上げ給えば、経房(刑吏)太刀を抜き、後ろに廻れば、「よう斬れ」とて見返りて、睨まれける眼ざしは、げに凡人とは見えざりけり。さればにや終(つい)には言ふに違わず、雷となって、難波三郎をば蹴殺し給いひけるなり。(『平治物語』巻三 悪源太誅せらるる事)

 この執念深くじっとり何年も絡みついて粘着してくる怒りみたいなのが火星の最高ディグニティっていうところ(山羊座の火星は叛乱の元になるものを先に潰すような感じ、あるいは別の派閥を静かに潰して這い上がる感じなのに、蠍座の火星は良い意味でどこまでも私怨だったりと、火星ってなかなか味わいのある天体です)がすごくいいです。

 あと、デトリメントで思い浮かぶのは山羊座の月のこれです。

 六の宮の姫君の父は、古い宮腹(みやばら)の生れだった。が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質の人だったから、官も兵部大輔より昇らなかつた。姫君はさう云ふ父母と一しょに、六の宮のほとりにある、木高い屋形に住まっていた。六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠ったのだった。

 父母は姫君を寵愛した。しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあわせなかつた。誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだった。姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送っていた。それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だった。が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。「父母さへ達者でいてくれれば好い。」――姫君はそう思っていた。

 古い池に枝垂れた桜は、年毎に乏しい花を開いた。その内に姫君も何時の間にか、大人寂(おとなさび)た美しさを具へ出した。が、頼みに思った父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になってしまった。のみならず母も半年ほどの内に、返らない嘆きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追って行った。姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはいられなかった。実際ふところ子の姫君にはたった一人の乳母の外に、たよるものは何もないのだった。

 乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。が、家に持ち伝えた螺鈿の手筥(てばこ)や白がねの香炉は、何時か一つずつ失われて行った。と同時に召使いの男女も、誰からか暇をとり始めた。姫君にも暮らしの辛い事は、だんだんはっきりわかるようになった。しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかった。姫君は寂しい屋形の対に、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌を詠んだり、単調な遊びを繰返していた。(芥川龍之介「六の宮の姫君」)

 この感情的なつながりが無くて(月は蟹座でドミサイル、山羊座でデトリメント)、それでいて壊れ切らない秩序だけがある感じが、月のデトリメントなのかも……みたいに思います。

 こんな感じで、12星座擬人化って、実はけっこうルーラーやエグザルテーション・トリプリシティなども重ねつつ読めるのかも……みたいに思っていて、いろいろ味わい方が深まるような気がします(フェイス・タームあたりはあまり気にしないですが)。夢葉ねこさん、勝手に使ってしまい失礼しました(いつも楽しく読んでいます)。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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