アイヴィ・ヤコブソン

斬伐と芟除

 占星術で基本的なことなのに、未だに説明が難しい(と個人的に思っている)ものに“火星星座(あるいは“火星”)”があって、火星星座はその人の行動を起こすときの様子・怒りのあらわれ方・情熱・性的衝動・活動のエネルギー量(これは火星冥王星アスペクト等であらわされる)等といわれています。

 でも、火星冥王星アスペクトがあってもエネルギー量が多くない人もいるだろうし、怒り方だったらむしろ月星座にとって不快なことをされた時の方が怒りに結びつきそうだし、行動もみずから能動的に起こす様子だとすると何となく太陽(人生の中でみずから後天的に得ていく性質)と重なりそうな気がして、上手い表現が見つからない……と思っていました。

 そんな中、アイヴィ・ヤコブソン『Here and there in astrology』(強いて訳すなら“其処此処の占星術”)で火星を紹介している表現がかなり納得できたので、それを載せてみます。

 土星は“切り落とす”(切り落として形を整えていくこと)、天王星は“突き刺す”(抜け道を探して横から越えていくような)、火星は“切り除ける”天体と云うのが近く、火星は外科医や屠夫のような面があり……、いらないと思ったものはその刀でざくざくと切り捨ててしまい、多少は手荒なことをする。火星は“私はそれ無しでも生きていける”という場所を表している(25頁より)

 これはなかなか見ない表現だなぁ……と思ったのですが、とても興味深いと思ったのは、“火星によって表されているものは、刀で切り除けて切り伏せてしまうのが向いている場所”という解釈です。

 火星星座・火星のハウスで表されているものは自分一人でも十分できてしまうので、周りに人を置いておく必要がない(もっと云えば“じれったい、早くどけ・私より深くわかっている人はいない”的な雰囲気)、単独で周りを焼き拂ってでも出来ること、というのは火星が牡羊座・蠍座と結びつけられていることにも繋がるし(どちらも上を取られるのをすごく嫌がる星座というイメージ)、エグザルテーションが山羊座(山羊座もかなり序列を重んじる苛烈な感がある)、トリプリシティが水星座(やや独占的な感情でのつながり)だったりするのも納得できる気がします。

 さらに、火星は刃物・盗賊などという意味もあるのですが、刃物は他者を切り除けるためのもの、盗賊も得たものを分けない貪欲さみたいな面があって、火星は“一人でざくざくと終わらせてしまえること”みたいな読み方が底にあるのかもです(性的衝動・略奪・棘のある植物・毒草なども、毒や棘のある植物が蔓衍ったり、一人で取り過ぎたり……という意味に重なる。逆に云うと、火星のあるハウスについては人を頼ったり、周りと合わせたりするより、一人で何でも無遠慮に終わらせる方がいいらしい)。

 ちなみに原文では

 Where your Mars is based at birth shows …… the condition, person or thing that you will have to go on without(出生図で火星の場所であらわされる状況や人々・物は、あなたが周りに頼らなくても独力でやっていけること、25頁より)

みたいにあります。今まで火星の解釈として“太陽をさらに外向きに出すときの熱の形”“邪魔なものを壊すときの様子”みたいに云われるのも、

 自ら新にする第一の工夫は、新にせねばならぬと信ずるところの舊いものを一刀の下に斬って捨てて、餘孼を存せしめざることである。雑草が今まで茂ってのみ居た圃(はたけ)を、これではならぬから新に良好な菜蔬を仕立てようとする場合であれば、それは即ち矢張り敢て新にするので有つて、若し其の地が新にされ了(おわ)れば、多少はあれ菜蔬が出来る時が来て、即ち従来とは異つた運命が獲得される訳なのである。然れば其は雑草を棄てて菜蔬にせねばならぬと信ずるのであるから、第一に先づ新にせねばならぬ舊いもの、即ち雑草を根きり葉きり、耘(くさぎ)り去って仕舞わねばならぬものである。舊いものは敵である。自分の地に生じて居たものでも、何でも古いものは敵である。雑草を耘り去つて仕舞わねば、新しく菜蔬は播き付けられぬのである。そこで此の道理に照らせば自然分明であるが、今までの自分の心術でも行為でも、苟も自ら新にせんと思う以上は、其の新にせねばならぬと信ずるところの舊いものを、大刀一揮で、英断を振って斫(き)り倒して仕舞わねばならぬものである。例えば今まで做し来ったところの事は、習慣でも思想でも何でも一寸棄て難いものであるが、今までの何某(なにがし)で無い何某になろうという以上は、今までの習慣でも思想でも何でも悪い舊いものは総べて棄てなければならぬ。併し然様(さうなる)と未練や何ぞが出て棄てられぬものである。妙な辯護説などを妙なところから考え出して棄てぬものである。だが、古い歯を抜き去ることに於て遅疑しては、新しい歯の為にならぬ、草莱を去らねば嘉禾は出来ぬのである。去年の自己は自己の敵であると位に考えねばならぬのである。何を斬って棄てなければならぬかは人々によって異なって居るだらうが、人々皆自ら能く知って居るだらう。

 具象的に語れば斯様で有る。従来不健康で有った人ならば、不健康は一切の不妙の事の因で有るから、自ら新たにして健康体にならねばならぬと思うのである。さて然様(さう)思うたらば、自己の肉体に対する従来の自己の扱い方を一応糾して見て、先づ其の弊の顕著なる箇條を斬って棄てて斥けて仕舞わねばならぬ。そして其の点に於て努力して新にせねばならぬ。例を挙げよう。従来貪食家で胃病勝(がち)であったらば、貪食という事を斬って棄てねばならぬ、節食せねばならぬ。貪食の為に辯護して、貪食でも運動を多くしたら宜かろうなぞと云うのは宜く無い。雑草を抜かずとも肥料をさえ多く與えたら菜蔬が生長する余地は有るだろう、というやうな理窟は、理窟としては或を成立つで有ろうけれども、要するに中正の説では無い。従来と同様な身的行為を保って居れば、従来と同様な身的状態を得るのは当然の事である。従来と異なった身的状態を得たいとならば、従来做し来った身的行為を讎的のようにして斬って棄てて仕舞うが宜い。従来と反対な結果が得たくば、従来と反対な原因を播くが宜い。貪食を為しては胃病を患い、薬力を假りて病を癒しては、復た貪食して病みつつ、永く自己の胃弱を歎じて恨むが如き人も世には甚だ少くは無い。昨日の自己をさえ斬って棄てれば、明日の自己に胃病は無いのである。貪食と健胃剤とは雑草同士の搦み合なのである。二者共に耘り去って仕舞えば、健康体の精力は自然と得られるのである。胃病を歎じて居る人々を観るに、多くは貪食家か、乱食家か、間食家か、大酒家か、異食家か、呆坐家で、そして自己の真の病原たる悪習慣に対して賢く辯護することは、雑草を抜かずとも雑草が吸収するよりは猶多くの肥料を与えたら菜蔬の生育に差支(さしつかえ)は無かろうと云うような理論家に酷肖して居るのである。苟も自ら新にせんとするものは昨日の自己に媚びてはならぬのである。一刀の下に賊を斬って仕舞わねばならぬのである。何をするにも差当って健康は保ち得るようにせねば、一切瓦解する虞(おそれ)が有るから、従来が不健康なら発憤して賊を馘(き)るのが何より大切だ。親讓りで体質の弱い人は実に気の毒で有るが、それでもすべて従来做し来った事で悪いと認めた事はずんずんと斬り棄てて行ったら、終に或は従来に異なつた健康体となり得ぬとも限らぬのである。再び言う。新しくせねばならぬと思うところの舊いものは、未練気なく斥けて仕舞わねばならぬのである。(幸田露伴『努力論』より)

に書いてある“雑草同士の搦み合い(「自ら新にする」ような太陽にとって邪魔なもの)”を“大刀一揮で斫り倒して仕舞う様子(“間食家だったなら間食を斬って棄てるがよい。大酒家だったなら徳利と絶交するがよい。乱食家だったならムラ食いを改めるがよい。異食家だったなら奇異なものを食わぬがよい”、逆にそれが出来ない状態はごちゃごちゃと下らない雑草に搦み付かれて“矢張永久に、昨年の如く、一昨年の如く、一昨々年の如く、同じ胃病に悩んで青い顔をして居るが宜いので、そして胃病宗の帰依者となって、遂に胃病の為めに献身的生涯を送るが宜い”みたいなこと)”、あるいはそのときの刃物の様子(雑草を剪る刃物なのか、曲がり叢がった木を斫るのか、賊を馘るのか、ぐちゃぐちゃと腐りかけた根を剸るのか)なのかもです。

 ちなみに火星は荒療治みたいな意味になるのは“自己の生活状態を新にすれば自己の身体状態は必ず変易せずには居ない。激変を与えるのだから、身心共に楽では無いに相違無い”みたいなこと、刃物は鎌や鋤が邪魔者を耘り捨てていくこと、耘り尽すことが行き過ぎると盗賊の貪婪、火星の星座・ハウスはその刃物や荒療治がどういう形になっているか、ハードアスペクトはその荒療治を嫌がる天体、ソフトアスペクトはその荒療治をして圃に植えてもらって喜んでいる菜蔬です、たぶん。

 あと、火星とハードになっている天体に別の天体がソフトで結びついていたりすると、場合によってはその組み合わせが“雑草どうしの搦み合い”になって未練を感じて捨て難い気持ちになったりするのかもです。これについて、アイヴィ・ヤコブソンは

 火星が或る天体と150度になっていた場合、価値のある努力は、価値の少ない目的のために注がれてしまい、火星と150度になる天体のハウスであらわされることを援けてしまう。それは「恋の骨折り損(露伴の云う“「酒は我が身体を悪くし居るな」とは知りつつも「酒を棄てる事は出来無い」なんぞと云うのが人の常で有る”“不健康の人が衛生に苦労する余り、アレコレ云って下らないことに齷齪として居るのは抑々間違切った談で、歯磨・石鹸の瑣事まで神経を悩まして居たり、玩弄物のような、若くは間食が変形した様な薬などを、嘗めたり噛ったりして居るが如き事に心を使って居るのは、それが先ず第一に非衞生的の頂上で、それよりも酒を廃すとか、煙草を廃すとか、不規則生活を改めるとかした方が、何程早く健康を招き致すか知れたものでは無い”)」みたいなもので、そんなときは火星を支えるべきなのかもしれない。

 火星のためには借金を代わりに払ったり、あるいは保釈保証人になってでも(保釈保証人になる:多少の荒療治はするけど、私が許したので……的な譬え。火星に宝刀を賜りながら「あの乱れ弛んでいる者を斬り抑えよ」みたいな)、無駄なエネルギーを吸い取っているもの(火星と150度になる天体があるハウス)を斬りまとめさせる方がいい。火星は荒れているときは却って手懐けやすくなる。(28頁)

みたいに書いていたり。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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