サビアンシンボル

マーク・エドモンド・ジョーンズのサビアン解釈について

 最近嵌まっているマーク・エドモンド・ジョーンズについての記事、二つめです。今回はエドモンド・ジョーンズが書いたサビアンシンボルについての本の内容で、特に印象に残ったところを紹介していきます。

 この記事を読んでいる方は、たぶんエドモンド・ジョーンズがサビアンシンボルを初めて……みたいな解説はしなくても通じると思うので、いきなりその解釈について書いていきます。まず、現在の日本で主流になっている松村先生の解釈とはかなり異なる説明がされていて、どちらが正しいとかは置いておきます(正しい解釈を決められる問題ではないと思うけど)。

 松村先生の解釈では、サビアンは前後の度数で物語的なつながりを持つ(獅子座1度:脳卒中の症状から獅子座2度おたふく風邪の流行で、熱の発生と流出みたいな感じです)あるいは第6グループ(26~30度)では次のサインが入り始めて(山羊座29度は、水瓶座の抽象的な法則性が入り始める)という説明がされていますが、ジョーンズ版では

1~15度:specializing(特化)
16~30度:generalizing(統合)

1~5、16~20度:physical(物理的、自らの身一つでの感じ)
6~10、21~25度:social(社会的、周囲に関わるように)
11~15、26~30度:spiritual(精神的、自らの中で純化していくような)

という分け方をしています。

 そして、それぞれのグループの中で、

1番目:experimental(実験的、とりあえずやってみる)
2番目:sensitive(外界を感じる、やや厳しいものと向き合うようにしての意)
3番目:receptive(受容的に、自らが周りに与えた成果を受け取るような)
4番目:responsible(任の重い、自らの性質を知って問題に立ち向かう)
5番目:inspired(霊魂化されて、純化されてもう一度始めに戻っていくような)

というふうになっていて、ある意味では1:良い、2:悪い、3:良い、4:悪い、5:良いという印象を与える感じを上手く説明しています。これは松村先生の度数ごとの説明にやや通じる感があります。
(牡牛座2度:雷雨、蟹座2度:広く平らな場所の上につるされた男、蠍座:割れた瓶とこぼれた香水、水瓶座2度:予期せぬ雷雨など、2番目にはかなり不穏なサビアンが多い気がする)

 さらに、積極的なサイン(火・風)はmanipulating(操作的)でextensional(拡大的)、消極的なサイン(地・水)はsustaining(維持する)とintensive(集中的)という性質を持っていて、

活動宮はcritical(緊要な問題と向き合う)
固定宮はideal(理想的に静止した状態)
柔軟宮はpractical(実際的に周囲を調整する)あるいは

火はoriginal(何かを始める)、風はingeneous(器用な)
水はuniversal(広がりのある感情)、地はefficient(現実的に上手くいくか)

という性質にさらに分かれます。

 それらの要素がサビアンそれぞれの意味とどのようにつながるかを見ていくと、例えば蠍座1度:観光バス と 魚座1度:公共の市場 ではどちらもuniversal-specializing-physical-experimenta(広がった感情を私一人でやや突っ走り気味にとりあえずやってみる)は共通していて

蠍座1度はideal、さらにジョーンズによるキーワードは「friendliness(他者と親しむ)」なので、仲間と一つになって観光バスに乗ったように感情を共有し続けること、

魚座1度はpractical、ジョーンズによるキーワードは「commerce(通商)」なので、様々な人の思っていることを市場での取引のように調和させる

のような違いがあります。これが蟹座になると、蟹座2度:広く平らな場所の上につるされた男 はuniversal-specializing-physical(身一つで突っ走り気味に感情が広がっていくこと)をcritical-sensitive(差し迫られて、厳しさに向き合うように)行うと、吊るされた男はcontemplation(熟慮:遠くから蟹座的な共同体を傍観して深く考えるように)して人々の間にある感情の広がりを感じ取ろうとする様子、と解しています。

 さらにこれが山羊座になると、critical-specializing-physical-sensitive(差し迫られてやや走り気味に身一つで危うさを感じながら)ステンドグラスが三つあったうち、残っている二つを大切にするように自らの基盤になる伝統をcommemoration(記念)してそれをもとに山羊座の秩序のefficientな状態にしたいという意味になります(2番目はsensitive:過敏さなので、厳しい状態を恐れる感じが出る)。

 これらの解釈が松村先生の解釈とどのような違いを持つかとして、本質的には

・興的発想
・他の度数・サインとの関係性

の二つがあると思っていて、興的発想(「~を見て、それによってふと連想した感情で…」という流れの詩の書き方)でサビアンを解釈しているときは、意外と通りのいい説明に見えることがあります。例えば、牡牛座3度:クローバーが咲いている芝地に足を踏み入れる について今まであまり納得できる解釈が無かった(個人的にですが……)けど、ジョーンズの解説では

Indomitable autreaching of the human spirit on the side of a possible and profitable co-operation with the natural universe, …… intuition of divine reality as he entrench himself in beauty and order. The keyword is hopefulness.(可能にして有益な自然との協調として、外へ伸びていくような人間の魂の働き、あるいは自らを囲むように美しさと秩序を配してある現実世界の本質を知る直感)

のようになっていて、horefulness:クローバーの豊かに茂るように、美しい緑の園を作りたい(あるいは感じたい)という思いです。クローバーを見て、それによってふと連想として……という気持ちになったという意味で、receptive(相互反響して恩恵を受け取る)感があります。

 さらに、水瓶座2度:予期せぬ雷雨では

 ちなみに松村先生の解釈では、牡牛座1度で資質を受けて、牡牛座2度:雷雨ではその資質を使って何かをしてさまざまな反応が雷雨の如くあって、牡牛座3度では雨を経てクローバーが豊かに茂ろように、多少揉まれることで資質が開花して……と解釈しています。

 この牡牛座2度:雷雨についても、エドモンド・ジョーンズは独特な解釈をしていて、それも興的発想に依っていると思うのですが(不穏な印象のサビアンで、松村先生と異なる解釈になるときは、なんとなく興的発想が多い気がする)。嵐や雷雨のサビアンでは、水瓶座2度、蟹座27度もあるので、それも合わせてみていきます。

まず、牡牛座2度:雷雨の解説としてジョーンズは

A catharsis of nature, mirroring the capacity of every individual for discharging the whole complex of strain in his affairs ……, a terror in the loss of aplomb whenever …… a moment of union with the universal forces. The keyword is transformation.(自らの中に溜まった歪みを放電していくような人間の能力を反映しているような自然の浄化。大いなる自然の力に呑み込まれるときに冷静さを失うような怖さ。キーワードは「変容」)

としていて、易でいう山風蠱のように、腐ったものを雷雨が焼き払って持ち物を新しく変容(transformation)すること、持ち物を変容させて洗練していく様子(あるいはそんな感性)としています。

Nature’s potentialities as they beyond any individual control. Every living spirit remain wholly self-qiuickened within itself, and be alert to its more or less inevitable participation in every shifting  pattern of events. The keyword is accident.(人間を越えて存在するような自然の潜在的本質。すべての生き物はそれぞれ自らによってのみ動かされているのに、多かれ少なかれ逃れられなくて、移り変わっている出来事の枠組に組み込まれていることを感じている様子。キーワードは偶然性)

として、accidentは偶然性の中に普遍的な本質を見つけること、sensitive-ideal-ingeneousで外界に翻弄されつつも固定(理想)的で知的に器用なこと、予想できない雷雨のように動くことにしています。ちなみに、風星座のmanipulating-ingemneousは知的な操作を加える(現象を加工する)です。

 蟹座27度:渓谷での雷雨では

Violence and terror as divine in their capacity for lihfting man out of his aplpomb. Abirity to rise in supremacy over each momentary crisis. The keyword is intensification.(自らの落ち着きを越えたような神々しさとしての暴力性と怖さ。短い間のそれぞれの危機を越えて、覇権に向かうような能力。キーワードは強化)

とあって、intensification:自らも嵐のような強さが必要だと知ること、spiritualで水の精神性が高まると、却って実体的なものにまで精神性を感じるようになっています。この二つのサビアンは、松村先生の解釈では、水瓶座2度は古い伝道所などの形あるものはその本質だけを残して壊されていく様子、蟹座27度は蟹座の安定した共同体に対して、閉め出されたものが外から襲ってくることとしていて、ジョーンズ版では自らもそのような不穏で荒々しい力を持つ、松村先生は外からそのような物がやってくると読むのが基調にあるらしいです。

 あと、sensitive(外界を感じる)とresponsible(任が重い)の区別がつきづらい気がしますが、sensitiveは外界を恐れる、responsibleは立ち向かうという意味がありそうなので、その例として蠍座4度:火のともったろうそくを手に持つ若者 を見ていきます。

 このサビアンについて、エドモンド・ジョーンズは

True contact with inner and transcendental realms of reality. Higher meaning and immortal value in each moment’s detail of everyday living. The keyword is reliance.(内的で超越的な領域への本当のつながり。日常のそれぞれの瞬間に潜む、高い意味と滅びない価値。キーワードは依存)

としていて、reliance:高位の霊的なものへの依存です。日常の生活は、蝋燭を灯した儀式のように深い価値と結びついているようには一見みえないけど、心の中では暗い中で蝋燭を持っているように……という意味らしいので、「任の重いことに立ち向かう」だと思ってます(sensitiveはさほど立ち向かっている感はないような……)。

 というわけで、もう一つの松村先生と解釈の違いになっている他サインとの関係なのですが、その例として獅子座28度:大きな木にとまるたくさんの小鳥 を読んでいきます。末期度数は松村先生の解釈だと次のサインが混ざり始めるので、獅子座28度は小さい日常的な表現に落ち着くというふうになっていますが、ジョーンズ版の解説はこんな感じです。

Symbol of transcendence of the lesser things in life, continual expansion of higher considerations. The keyword is ramification. When negative, an enjoyment of confusion or the momentary self-importance it brings.(生活の中にある小さいことを超越して、より高い思惟を拡げていく。キーワードは分枝。ネガティブな意味になると、混乱的な楽しみや、その楽しみによる刹那的な自己重要感)

original-spiritual-receptiveなので、鳥たちが自らの声を響かせ合って、より高朗で純化された獅子座という雰囲気になって、それぞれの楽しみがramification:枝分かれして重なるような意味になります。ちなみにmanipulatingは手を加えたり、自ら発散するで、水瓶座だと理想状態にする為に解釈を通じて知的な操作を加えて、今の世界を加工するような、獅子座だと自らの存在などを表現するような感じでどことなく放出的、sustainingは山羊座だと今あるものを運用するような、蠍座でも今あるものを深掘りするようなという感じがsustainingっぽいです。

 あと、social, spiritual, specializing, generalizingの区別としては、まず山羊座25度:東洋のじゅうたんを扱う商人 から読んでいきます。ジョーンズの解説では

Eternal values are meaningless until they are woven into the fablic of humanity’s familiar transactions. The keyword is consignment.(永遠の価値は、人間のよく知り合っている経済活動の中に織り込まれない限り、意味はないということ。キーワードは委ね預ける)

としていて、この解釈は東洋のじゅうたんというマイナーなものを人々に紹介している感じを上手く表していると思うのですが、social-inspiredな山羊座として周囲のものに働きかけて山羊座の秩序を作っていく感じがより純化されているという説明です。これが蠍座30度:ハロウィンのわるふざけ になるとこんな感じです。

This is a symbol of a proper informality in the release of the buoyant energies through which an individual gains refreshment, or is freed for the moment from life’s insistent demand on him that he live according to some ideal beyond his potentiality. The keyword is spontaneous.(人間が生命力を更新する為に浮き上がらせようとするエネルギー、それを放出することで本来の形式張らない様子になるシンボル。あるいは潜在的な本能を蔽うようにして理想として生きさせられている人生のしつこい要求からのひとときの解放。キーワードは自発性)

 ニーチェ『悲劇の誕生』を思わせる表現でもあり、ここでいうspontaneous:自発性とは、自らの生きる気力が沸き上がる(buoyant)ことです。generalizing-spiritual-inspiredなのでより統合的な深みがあって、霊的で純化された蠍座(再生の星座)です(過去に思いつきで書いた詩と偶然同じ解釈になってしまっていて、当時はジョーンズ説を知らない)。

 Specializingとgeneralizingの違いとしては、蠍座15度:五つの砂山のまわりで遊ぶ子供たち を見てみます。ジョーンズ説では

Absolute self-integrity at a simple extreme of social consciousness. The keyword is naivete.(究極的に単純化された社会意識における絶対的な自己統合。キーワードは純朴)

としていて、naiveteはフランス語で純朴、他者と深い関係を築く蠍座のspiritual-inspiredなので霊的に純化されているけど、specializingなのでより個々の人間が……という感じが出ています。個人的には「specializingは人々がそれぞれで~する、generalizingは人間世界の本質として~している」だと思ってます。

 こんな感じで、エドモンド・ジョーンズのサビアン解釈の基調にある理論の紹介が終わったのですが、この本の面白いところは別にもあって、ジョーンズによる天体やサイン・ハウスの意味付けがとても魅力的なので書いておきます。まずはサイン・ハウスから。

牡羊座:aspiration(願望)
牡牛座:virility(力強さ)
双子座:vivification(活性化)
蟹座:expansion(拡大)
獅子座:assurance(自信)
乙女座:assimiration(同化)
天秤座:equivalence(等価)
蠍座:creativity(関係を生み出すこと)
射手座:administration(上位機関)
山羊座:discrimination(峻別)
水瓶座:loyalty(信義)
魚座:sympathy(共感)

 特に個人的に好きな解釈は、双子座のvivification(かき回して活性化するような話し方)、蟹座のexpansion(共同体の拡大)、乙女座のassimiration(奉仕対象への同化)、水瓶座の(普遍的な真理への信義)あたりです。

1ハウス:identity(自らの特徴)
2ハウス:possession(資材、お金などの持ち物)
3ハウス:environment(身の周りの環境)
4ハウス:home(帰るべき家)
5ハウス:offspring(青春っぽいこと)
6ハウス:duty(義務)
7ハウス:partnership(他者との関わりや外から来る機会)
8ハウス:regeneration(再生産されるもの)
9ハウス:understanding(難しいことへの理解)
10ハウス:honor(名誉)
11ハウス:friendship(楽しみ・喜びのための関係)
12ハウス:confinement(監禁されている物たち)

 個人的に5ハウスの青春っぽいこと、12ハウスの監禁されている物あたりが好みなのですが、それよりも興味深いのは12・1・2ハウス(自分でも分からない自分、表に見える自分、自分の付属物)、3・4・5ハウス(身の周り・自分の基盤・基盤の上に表現する)、6・7・8ハウス(一人で裏準備・他者と出会う・深い関係)、9・10・11ハウス(精神的な高み・実体的な完成形・それを離れての楽しみ)のようにアングルを支えるようにカデント(柔軟宮ハウス)とサクシーデント(固定宮ハウス)があるという考え方で、これもある意味すごく納得です。そして、さらに面白いのが天体の解釈です。

 エドモンド・ジョーンズは天体を幾つかのペアに分けているのですが、その組み合わせや紹介する順番が非常に独特です。まず、天体を太陽・月、木星・土星、火星・金星、天王星・海王星、水星・冥王星という形に分けます。さらに、太陽・木星・火星・天王星はpositive planet(積極的な天体)、月・土星・金星・海王星をnegative planet(消極的な天体)としています。「えっ?!」という感じですが、その説明がとても深いのです(ある意味いままで読んだ説明の中で、最も納得できたのですが……)。

 まず、太陽は「found at the forefront of attention. It becomes the astrological indication of integration(意識の向かう先として見られ、あるいは占星術的な統合。49頁より)」であり、月は「reveals the native’ self-centering in the world. Indication of emotional nature(その人の世界の中での自己中心化のあり方、あるいは感情的な本質。54~55頁より)」とあって、月は自分がどのような人間だと思い込んでいるか、太陽はそんな思いを抱きながらどんな方向を目指そうとしているかになります。

 次に来るのが木星・土星ペアなのがまず驚かされます。いきなり社会天体を読むのが驚かされるのですが、それぞれの意味付けが魅力的です。まず、木星は「the function of bringing the more remote elements of experience into the fiber of selfhood(自らの本質構造から離れたところにあるものを取り込む機能)」、土星は「ultimate orderliness. A sensitiveness to enduring things(究極的にどのような秩序が好ましいか、様々な風雨に耐える為に退いていくような怖れる気持ち。木星・土星ともに58頁より)」としています。この二つによって、その日とが外界から新しいものをどのように取り入れるか、あるいは取り入れたものをどのように秩序に組み込んでいくかを読むという感覚です。

 そして、次に来るのが火星・金星ペアで、その意味づけがまた天才的というかなんというか……。まず、火星を「the indicator of simple initiative …… anyone starts things(その人が何かを始めるときの主導性の在り方)」、さらに金星を「the conventional coming to an end or climax of all elements going into the make-up(物事の完成形としての様式化のされ方。どちらも61頁より)」と読んでいて、これはどのように外に伸びていくかを表す木星や、全体の統合性をあらわす太陽、固め補うことを示す土星や、もともと世界がどうなっているかを思う月とはそれぞれ異なり、より実際の行動を表すとしています。

 天王星と海王星は、まず天王星は「social independence of the individual …… an expanding of his personal skills(その人の社会的な独立性、あるいはどのような能力で独立するか。64頁より)」、海王星は「bondage through the rising complexities of the new and global culture(それでも逃れ切れない複雑な世界の絡み合いとしての文化。65頁より)」としていて、天王星は通常の社会をどのように離れるか、海王星はそれでもどのような点に縛られ続けるかという意味で、個人的に海王星の解釈が美しすぎます。

 最後にもっとも奇異な印象のある水星と冥王星のペアなのですが、水星は「representative of mind, that is, the focus of awareness or the immediate threshold of consciousness, …… individual’s capacity for hewing to his line of intention(意識の焦点があたる場所、あるいは意識の敷居。その人がどのように意思の形を製材しているか)」、冥王星は「be termed a cosmic mentality. any native’s philosophy of life, and in the new and still unsettledpatterns of global culture(宇宙の精神。あるいはその人の人生の哲学か、もしくは新しくして未確立の世界の文化。どちらも67頁より)」としていて、「あまりペアとされることはないけれど、どちらも人間が何かを考えるときの枠組みを作る天体ではある」としています。この組み合わせは深いと思っていて、水星は既知のものをどのように扱うか、冥王星はその人にとって未知のものとはどのようなものかを表すとすると、すごくすっきりします(個人的に)。

 これで大体、この本の中で印象的だった解釈については紹介が終わったのですが、最後にエドモンド・ジョーンズがどのようにサビアンシンボルを使っていたかを感じられるような解釈例を載せておきます。

 この本の141頁に「philosophical vignettes(哲学的装飾)」という表現があって、vignetteは西洋の古い写本の枠外などにある小さい植物模様です。近い雰囲気のものをより見慣れた例であらわすとこんな感じです。

 髪が途中から布になって、衣裳も終わりがないような装飾の広がりがvignette的な感じで(アール・ヌーヴォーは全体的に装飾過剰のvignett感がある)、西洋建築の手摺りなどに無限に増殖するような、建築物本体を区別がつかなくなっていく植物状の飾りも近いです。さらに哲学的装飾という言葉を聞いてまず思い浮かぶのがこれです。

鏡花氏こそは、まことに言葉の魔術師、感情装飾の幻術者。(中島敦「鏡花氏の文章」より)

 この感情装飾というのはおそらくこの雰囲気です。

我児危い、目盲いたか。罪に落つる谷底の孤家の灯とも辿れよ。と実の母君の大空から、指したまう星の光は、電となって壁に閃めき、分れよ、退けよ、とおっしゃる声は、とどろに棟に鳴渡り、涙は降って雨となる、情の露は樹に灌ぎ、石に灌ぎ、草さえ受けて、暁の旭の影には瑠璃、紺青、紅の雫ともなるものを。
 罪の世の御二人には、ただ可恐しく、凄じさに、かえって一層、ひしひしと身を寄せる。
 そのあわれさに堪えかねて、今ほども申しました、児を思うさえ恋となる、天上の規(のり)を越えて、掟を破って、母君が、雲の上の高楼の、玉の欄干にさしかわす、桂の枝を引寄せて、それに縋って御殿の外へ。
 空に浮んだおからだが、下界から見る月の中から、この世へ下りる間には、雲が倒(さかさま)に百千万千、一億万丈の滝となって、ただどうどうと底知れぬ下界の霄へ落ちている。あの、その上を、ただ一条、霞のような御裳でも、撓(たわわ)に揺れる一枝の桂をたよりになさる危さ。
 おともだちの上臈たちが、ふと一人見着けると、にわかに天楽の音を留めて、はらはらと立かかって、上へ桂を繰り上げる。引留められて、御姿が、またもとの、月の前へ、薄色のお召物で、笄(こうがい)がキラキラと、星に映って見えましょう。
 座敷で暗やみから不意にそれを。明さんは、手を取合ったは仇(あだ)し婦、と気が着くと、襖も壁も、大紅蓮。跪居(ついい)る畳は針の筵。袖には蛇、膝には蜥蜴、目の前見る地獄の状に、五体はたちまち氷となって、慄然として身を退きましょう。が、もうその時は婦人の一念、大鉄槌で砕かれても、引寄せた手を離しましょうか。(泉鏡花「草迷宮」四十四より)

 繋がり得ない天上の亡母にひとたびの夢の邂逅は、ある十畳の暗い部屋で行われたのに、その逢うことは「この世の一切(すべて)を一室(ひとま)に縮めて、そして、海よりもなお広い、金銀珠玉の御殿とも、宮とも見えて」いるようなときには届き得ない天の欄干、玉の橋は幾重もの雲を隔てて、こちらは大紅蓮の蛇や蜥蜴の絡み合いにさいなまれても、それでも手は離し得ず……というのを、実際の天上と夢の雰囲気、さらに人目を盗む罪の情などを縁語重ねの文体で書いたような感じで、天上の宮殿が地獄の苦しみに臨み出るようになったり、夢の中の激しくてきらきらした感情の迸りがその中に流れ込んだりするのが感情装飾だとしたら、エドモンド・ジョーンズがサビアンを使っているときにどことなく似ている手法がみえる。

 この本ではないのですが、ある記事で占星術初心者向けにホロスコープの読み方をサビアン付きで解説している例があって、その中で特に興味深い例を二つ載せておきます。

 まず、この記事ではセオドア・ルーズベルト(博物学や南米・アフリカ探検なども好んだ20世紀初めのアメリカ大統領)のホロスコープを例として読んでいるのですが、今回はその中でパート・オブ・フォーチュンと太陽についての読みについて。

 パート・オブ・フォーチュンは「生きていく上で意思の焦点となること・成し遂げることの潜在性への洞察(the general focus of existence, insight into the potentials of accomplishment)」とジョーンズは読んでいます(一般的にはどのようなことを幸運に思うかですが)。ルーズベルト大統領のパート・オブ・フォーチュンは8ハウスの乙女座18度で、そのサビアンシンボルは

Two giggling young girls are sitting facing each other, knees tightly touching, working a Ouija board on their laps.(二人のクスクス笑う少女が向かい合って膝がくっつくほど深く座り、脚の上でウィジャ盤をする)

です。「こんなに長いサビアンあった?」と多くの方が思っていると思いますが、実はもともとは「an ouija board」だけなので、ジョーンズがその場でかなり装飾を加えたものです。ちなみにジョーンズ版による解釈は以下の通りです。

Able to see his experience both steady and whole, the keyword is acumen. When positive, the degree is cleverness in making use of everyday insights and intimations.(その人の経験を堅実な視点と全体像の両方からみられること。キーワードは洞察。いい意味になると、この度数は日々の洞察や暗示を生かせる賢さになる)

 それが、この記事では

Virgo has the particular and peculiar gift of putting things where they are useful. The eighth house is the place of regeneration. The 18th degree of Virgo is …… an indication of the possible conscious touch between realms visible and invisible. Almost everybody could visit the White House and find him willing to talk about the visiter’s particular interest. (乙女座は様々なものを役立つ場所に整理していく特有にして独特の能力があり、8ハウスは他者と深い関係を結んで何かを生み出していくハウス。乙女座の18度は、意識が見えない領域と見える領域両方に触れられることを示している。実際、ほとんど誰もが大統領官邸を訪れることができて、ルーズベルト大統領はそれぞれの人の興味のあることについて話し合うのを好んでいたのを知っていた)

となっていて、「乙女座の18度は、意識が見えない領域と見える領域両方に触れられることを示している」はサビアン本来の意味に近いけど、「膝がくっつくほど深く座り」は8ハウスの密接な距離での会話、「クスクス笑う」はパート・オブ・フォーチュンの楽しい感じを混ぜている感があります。サビアンを使いながら、感受点や天体、ハウスなどの大枠を装飾していく雰囲気が出ていると思うのですが、もう一つそのような例を読んでいきます。

 ルーズベルト大統領の太陽は、9ハウスで蠍座4度:火のともったろうそくを手に持つ若者(a youth holding a lighted candle)です。サビアンそのものの解釈はこんな感じになります。

True contact with inner and transcendental realms of reality. Higher meaning and immortal value in each moment’s detail of everyday living. The keyword is reliance.(内的で超越的な領域への本当のつながり。日常のそれぞれの瞬間に潜む、高い意味と滅びない価値。キーワードは依存)

 それが9ハウスの要素を入れると、

In an old fashioned ‘candle lighting service’ a youth gains for the first time a sense of the great other world(古めかしい燭火礼拝で、一人の若者が初めて大いなる別世界の感覚を得る)

のようになります。9ハウスは精神的な探求のハウスなので、元のサビアンに無い「初めて」が入って、さらに「holding」は無くなってもいいという感じがより精神化しています(元のサビアン解釈では、日常の小さいことにも霊的な意味を見いだすような異界とのつながりなので、「初めて」ではないです。たぶん、4ハウスだとその場に居て落ち着く感じだったり、7ハウスだとそういう雰囲気を通した人々との交流だったりするのかも)。この縁語的な使い方でハウスや天体を織り込んでいくのは哲学的装飾っぽいです。

 天体やハウスが大きい枠を作って、その間にある様々な天体や感受点をサビアンシンボルが絡みついて葡萄の蔓のように埋め尽くしていくようにホロスコープを読む感覚を知ったのが、この本の魅力だと個人的には思うのですが。

 ちなみにヘッダー画像は、占い師ふうの本の写真の撮り方を真似してみました(笑)全体はこんな感じ。このきらぎらしい感じ、意外と難しいです。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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