美術

ブロンズィーノ 冷艶の清宮

 ホロスコープで読むマニエリスム美術、つづいては宮廷画家としてマニエリスム第二世代のブロンズィーノを読んでいきます。前回のポントルモの弟子にあたる人物なのですが、作風や環境はまったく違い、個人的にはかなり読み応えのある内容で楽しかったです。(出生時刻は海外のサイトに載っていたので、今回は月も読みます)

 とりあえず思うのは、何となくミケランジェロの形に似てませんか?上下を逆にしたミケランジェロ、あるいは重厚で重苦しいミケランジェロに比べて、あっさりし過ぎなほど軽い形をしているホロスコープというか……。ミケランジェロの場合は冥王星・火星・太陽のオポジションを繞るように様々な天体が絡むという作りでしたが、ブロンズィーノは金星・海王星と火星・木星・土星のオポジションが全体の基調になりそうです。

金星:山羊座19度 大きな買い物袋を下げた五歳程度の子供
海王星:山羊座22度 敗北を優美に認める将軍

火星:蟹座24度 南に向いた太陽に照らされたところにいる女と二人の男
木星:蟹座14度 北東の大きな暗い空間に向いているとても年を取った男
土星:蟹座18度 ヒヨコのために土を掘る雌鳥

 まずは金星・海王星から読みます。金星のサビアンは、身に余る重い仕事を引き受けることが美しいとされる、海王星のサビアンは、事実よりもその裏にある精神性の高さを重んじる幻想でしょうか。これだけ読むと、ものすごく山羊座の堅さの中に美しさと精神性が入った感じになっているのですが、この金星にオポジションが入ってきます。

 火星は閉鎖した関係の中の漂流者たちで、蟹座の18度なので純粋な感情のつながりというより、山羊座的な秩序と蟹座の感情の鬩ぎ合いもあります。木星は索漠とした暗い空間に向き合っていること(その中で感情の本質はどういうものか一人で考えている)、土星はみずからの大事なもの(ヒヨコ)のために山羊座的な実際の動きで守ろうとすること、だと思う。火星と木星はアスペクトはないけど、金星と木星はオポジション気味なので、やはり全体で大きいオポジションです。

 このオポジション群の意味としては、金星と海王星は理想世界(9ハウスでもある)では人間は重いものを受けても美しい心でそれを担って丁寧に生きていくものだと思いつつ、火星・木星・土星(3ハウスなので身近な世界で、さらに凶星と吉星が重なりあって現実世界の人間の喜怒哀楽、慮嘆偏執、姚佚啓態などが入り混じっている泥臭さすらある)が、それぞれの思うことに従って深く悩んだり(蟹座14度)、軋りを生んだり(蟹座18度)、出来ることをしていたり(蟹座24度)様子なのではないかと思う。

 これを絵にするとこうなるのではというのを出してみます。もはや絵の寓意とかは無くても、この表情の異様なまでに多彩なことは当時の絵としても珍しいのですが、この水汲みの様子はポントルモの視線の交錯が全員の感情を不安でまとめられたのに比べて、それぞれの思っていることがまるで違うのように見える。この人物たちはそれぞれ寓意はあるにしても、同じメディチ家の宮廷画家だったジョルジョ・ヴァザーリの絵は人物の表情がほとんど同じに描かれるのに、ブロンズィーノはここまで違うのはたぶん一つの感性の違いだと思います。

 月は蠍座15度 五つの砂山のまわりで遊んでいる子供たちなので、その砂山が生まれたり消えたりするように、人間や人間の感情も生まれたり消えたりすると知って、その中に生きることが落ち着くとすれば、1ハウスなのでそういう感性が自然に馴染んでいて、さらには金星・木星とメディエーションなので(表示されてないけど……)このような人間の在り方を意外と抵抗なく受け入れていたかもです。

 その感性を象徴する作品を読んでいきます(ブロンズィーノはこれを観ないことには始まらない)。それなりに有名な「愛の寓意」(色々な別名がある)について、若桑みどり『マニエリスム芸術論』の解説を引用してみます。

 この絵には、トルコ青の天幕の中で、裸のヴィナス(中央)とクピドが抱き合っているところが描かれている。ヴィナスは、真珠の高価な髪かざりで豪華に髪をゆっていて、左手にはよく光る黄金の果実を軽くもち、右手はのけぞるようにあげて、金いろの細く鋭い矢をとりあげている。箙を負った少年(クピド)は、ピンクの枕の上に膝をのせて、かなり大胆な姿勢でヴィナスを抱いており、その足もと近くにはやはりくちばしを合わせた二羽の白い鳩が描かれている。右側にはもうひとりの主要な人物がいて、彼はまだ幼く、ふざけているか踊っているかのようにしている。(中略)これらの三人を、大きく、筋ばった腕をのばしておおうように身をのり出しているのは、白いひげをもち、禿げた頭で、背中に砂時計をのせ、白い翼を生やした恐ろしげ老人(時、あるいはクロノス)である。これらの四人の登場人物の陰に、さらにもっと目立たない三人の人物がかくれている。陽気な男の子のうしろから顔を出している、一見かわいらしい清純な顔をした娘(右から二人目、欺瞞)と、クピドの背中で、頭をかきむしって絶叫している年とった裸の女(嫉妬)と、画面の左の上で、蒼いカーテンを両手にもって、ギリシャ悲劇の仮面のように恐ろしげにこわばったプロフィルをみせている若い女(時の翁の娘で、「真理」)とである。われわれの目に見えるのは、これらの謎めいた人物たちと、蒼ざめた美しいブルーと、ごくかすかに、しかも効果的におかれたピンク(枕とばらとの)、それに、蒼ざめた布の中でいっそう冴え冴えと見えるデリケートな肌の色である(86-87頁)

 寓意の解釈についてはいろいろあるようなので、あまり深くは入らず、この逸楽的でありながら、「欺瞞に満ちた逸楽は、いずれ時と真理の二人がやってきて、その嫉妬を押し殺して作った楽園を壊すだろう」という教訓らしいものも入っている絵は、ホロスコープのどの部分とかかわっているか読んでいきます。

 今まで読んでない天体は、太陽・天王星・冥王星なので、それらをまとめて。

太陽:射手座4度 歩くことを学んでいる小さな子供
天王星:魚座9度 騎手
冥王星:射手座3度 チェスをする二人の男

 まず、天王星は木星とトラインなので、騎手は魚座的な無意識で身体も動いている様子だとすると、暗い空間の中に漂う人間の感情を観たいと思っている木星(9ハウスなので深い洞察)と、身体は感情とひとつになって皆んなが無意識に動いているという新しい考え(4ハウスの終わりなので、宮廷内の恋愛から知ったのかも)が結びついています。それが金星とオポジションなので、金星は身に余る重いものを負って生きることを美しいと思っているなら、その重いものはオポジションで潰してくるような現実世界(火星・木星・土星なので、争い・思索・制限などが絡み合い、争いは狭い宮廷内の軋り・思索は人の心の奥が知り得ないこと・制限はそれぞれが自らの重んじる物のために動かねばならないことだと思う)ということになる(むしろ、その重いものに苦しめられている人間が美しいという意味かもしれないが)。

 さらに、太陽と冥王星は合なので、太陽は守られながら育っていくような射手座らしい伸びやかさだとすると、冥王星はその伸びやかさの裏に貼り付いた冷静な計算をしいている、でしょうか。これが天王星の騎手(無意識に身体も感情も動く)とスクエアなので、純粋でやや頼りないけど伸びやかな面と冷静な計略があわさった宮廷劇を演じるデリケートな人物たちの肌は、薄暗い欲や制限、そこはかとない暗いものへの思索(他のことに挟まれながらなので、純粋に深い思索とはやや異なる)、狭い関係の小さなざわめきなどから静かに緊張させられる、と読みます(人間はこの緊張をもっている、という感覚を売って宮廷画家として重んじられたとすれば、太陽・冥王星は2ハウスなのも頷ける)。

 そして、全篇のまとめとして、感受点を幾つか読んでみたいのですが、今回読むのは次の二つで。

ASC:蠍座2度 割れた瓶とこぼれた香水
リリス:蠍座23度 妖精に変容したウサギ

 ASCのサビアンは、美しい香水瓶が割れて中身が飛び散るように、表面の飾りを捨てて美しいものの内側にあるものを知ること、リリス(このブログでは作品の裏主題を表すと思って読んでます)は動物の本能はときに霊性すら持つことで、火星(狭い人間関係の中に軋りを感じられる蟹座)とトラインなので、むしろこれだけの方が色々書くよりブロンズィーノらしさを感じられると思います。

 ちなみに、マニエリスム期の作品はミケランジェロの拗れのある形(内面の紛糾を表すとされる)を擬して、人間の複雑に拗れた感情を描いたとされるけど、この「愛の寓意」について再び『マニエリスム芸術論』から引用します。

 上昇と転落とのふたつの方向を、ひとつの形態のなかに重ね合わせていたミケランジェロの偉大な着想は、ここでは姿を消している。「時」と「真理」は、地上的な快楽に対しての天上的な対立物を代表しているのだが、この上下の関係は、おのずから人間性のなかに重ね合わされたものではなく、いっぽうは救いようもなく下降し、他方は、追いつきようもなく権高になっている。それゆえ、両者の間は、ひきはなされた、冷たい、とげとげしいものになっており、天上的なものは軽蔑と嫌悪と威嚇の念さえもち、地上的なものは怪しさと淫らさをもって上昇をすっかり断念している。両者の間の幕は、いっそうこのふたつのエレメントの冷ややかな隔絶を強調している。この作品は普遍的な感動をもたらさない。エロティクであるが冷ややかだ。(115頁)

 金星と海王星の合は、きっと幻想の中の美という意味で、それらは現実世界のさまざまな軋りやざわめきを吸い込んで、みずからの置かれた実生活の計略と無邪気さ(冥王星と太陽)の典雅な慰めとして、蒼いカーテンに包まれたひんやりと美しい曲房清室を身近な場に作って、ちいさな謎解きの絵(3ハウス)にする、そこには天上的なものへの観察はあるが、追いつこうという意思よりも、その人間との隔絶を美しいと思う気持ちがあるとしたら、「愛の寓意」はブロンズィーノらしさがとても出ていることになる。(もっとも、ブロンズィーノの作品が、すべて上昇を拒否するほど逸楽的なのではなく、似ている主題で書いた「ヴィナスとクピドと嫉妬」はやや印象が異なる)

 ブロンズィーノ風の「すっぱい甘さ」っぽい詩を昔書いたものから。

  小橋のこと
流しもあえず 御溝の小辮(はなびら)填満満(うずまりみ)ちて
吹きも散らせず 萼内の淑気芳菲菲として
細い枝は頡(あが)りて頏(さ)がり 彎(まが)りて折れず
小さい院は 迷離(まよう)如くして看つくせず

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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