サビアンシンボル

泥々  蓬莱  はられあられ

 最近、「KING」「エンヴィーベイビー」というKanariaさんの曲二つをそれぞれ獅子座・水瓶座のサビアンシンボルで歌詞の質感を書いてみるという謎記事をふたつ上げたのですが、さらに魚座verも作れそうなので、今日は「酔いどれ知らず」の歌詞を魚座のサビアンシンボルで書いてみます。

「酔いどれ知らず」はこんな曲です。「KING」「エンヴィーベイビー」は連作のような形になっていましたが、「酔いどれ知らず」はあまりそういう感じはない気がします。歌詞の後ろに書いてある数字は、魚座のサビアンシンボルの度数です。

夢が覚めた 酔いどれ知らず
争いごとは  夜が明けるまで
くたびれては  酷く見える
一千の声は  声が枯れるまで(4)

うっちゃる幸せ  ずっと醒めないで
あなたの声に  耳を貸す時まで(7)
屈する態度で  言葉さえなくて
体を染めて(6)

そして
泥泥   はられあられ  ホウライ  そう悪くないわ(21)
屈する先まで  ミリグラム(28)
酩酩  重ね重ね  存外  そう悪くないわ
酔いどれ知らずの  恋敵だから(27)

ウタの声は  数知らず(1)
迷い込んだら  そこは君の××(9)
ねぇ見てきれい  白昼夢ロンド(17・18)
一千を隠して  十を吐けるだけ(14)

いっかの幸せ  きっと晴れないで
あなたのそばに  耳を貸す時まで(30)
屈する態度で  言葉さえなくて
心を染めて(20)

それは
泥泥   はられあられ  将来像  悪くないわ(8)
屈する私は  生きている(24)
酩酩  重ね重ね  存外  そう悪くないわ
酔いどれ知らずの  物語(2)

魚座4度:狭い半島での交通渋滞
夢が覚めた 酔いどれ知らず
争いごとは  夜が明けるまで
くたびれては  酷く見える
一千の声は  声が枯れるまで

 たぶんですが、「酔いどれ知らず」という題名は、自分が酔っているのにそれに気づいていない様子のことだと思います。杯盤の乱れて積み重なったり崩れたりしている中で、皆が帰ったあと一人で目が覚めてみると、遠くで人の声がするけど、ごちゃごちゃとしていた感情の溢れていた宴席は、古い半島がリゾートになって新しく遊びに来た人たちとの間に複雑な感情の共存するような混ざり合うような姿になっている様子にも似ているようで、交通渋滞のようにごったがえしているところに生きている感じです。

(多少ごちゃつきすぎて狭い感じもある。それぞれの土産物屋や宿屋、酒楼・妓楼が客引きをしたり看板が入り乱れていたり、路地にも小さい安い店が出たりして、調整するのが難しいほど栄えている街のような感情の中に生きている、みたいな舞台での話が「酔いどれ知らず」らしいです)

魚座7度:岩の上に横たわっている十字架
うっちゃる幸せ  ずっと醒めないで
あなたの声に  耳を貸す時まで

魚座6度:正装して行進している将校たち
屈する態度で  言葉さえなくて
体を染めて

 魚座の7度は、荒れた岩の上にひとつだけ置かれている十字架のように、寂しい中でも信じているものにむけて何処となく自己犠牲的な感じになりながら救いを求める感じで、今の幸せなんか捨ててしまっても、この夢があなたの耳元で話を聞ける日まで醒めないようにしたい、という感情と似ている気がします。

 魚座6度の歌詞はしいて云うなら身を捧げていること(態度)に重みがあって、魚座7度は救いを信じている方に重みがあるという感じだと思っていて、“体を染めて”という捧げ方がそれかもです(この辺りは度数がつながっているので、無理に分けなくてもいいかもですが)。

 魚座21度は、自然の中にいる羊と子供、東洋的な感覚をあらわす中国人(召使として付いていくだけなので、後ろにぼんやりと東洋的な非整合さが佇んでいる雰囲気)で、これが「蓬莱(仙境)」っぽいような、渾沌として泥の中にだらだらと溶けていくようなものに包まれているような気分になっていたり、そんな豊かさがある中(満月の肥沃な庭にはさまざまな菜蔬や花の蕾があふれている)に溶けて消えていきそうになる感じまで残りわずか(屈する先までミリグラム)、酩酊の重なり合った生き方が中秋の名月のように一つの年を閉じさせていくような、今年はそういう一年だったといいながら月と遊ぶような満足感(私はこういうふうに酩々しながら生きている酔いどれ知らずの恋敵だから)みたいな感じだと思います。

 魚座のサビアンも違いを書き分けるのが難しいのですが、21度は渾沌としているものをそのまま放っておくような魚座、28度は秋の夜に庭を歩いたときの豊かな木々や水草の色を楽しむような完成の魚座(「酔いどれ知らず」の歌主はそんな豊かさに吸い込まれるまでミリグラム)、27度はみずからの生き方や周りの運命が作ってきたものを受け取る魚座みたいな違いだと思って書いてます……(27度はまだ溶け切らない印象)。

魚座1度:公共の市場
ウタの声は  数知らず

魚座9度:騎手
迷い込んだら  そこは君の××

魚座17度:復活祭の歩道
魚座18度:巨大なテント

ねぇ見てきれい  白昼夢ロンド

魚座14度:キツネ皮をまとった女性
一千を隠して  十を吐けるだけ

「ウタの声は  数知らず」は、雑然としているものが横並びにある感じ(魚座4度:狭い半島の交通渋滞との違いは、4度では不規則でごちゃついた感情が絡み合っているような感じなのに、1度ではさまざまなものが交わってくるところに重みがあり、4度は複雑・不規則・錯綜・紛糾している中での水の柔軟、1度は多様なところに重みがある)だと思います。

 いろいろな歌がある中で、ふと気がつくといつの間にか「君の××」を思わせるような歌にのめり込むように同化してしまったり(それは馬に乗った騎手のようで)、恐れや戸惑いもなくいつの間にか深く迷い込んで出てこられない気分になっている様子かもです。それがたぶん「数知らず」な歌のあちこちから迷い込んだりするのかもですが。

 17度:復活祭の歩道・18度:巨大なテントはそれぞれ、祭りの宵山(17度のこと、人々の気持ちを魅せるものに結びつける魚座)・サーカス小屋(18度。より閉ざされた中での幻術的な演出の魅せ方)みたいな感じで、白昼夢の陽炎を一緒にみているような雰囲気はこの二つが混ざっている気がします(17度はみんなが心の奥でぼんやりと感じているものを引き出すようで、18度は狭く深い幻術の中に引きずり込むような感じ)。

 最後の「一千を隠して  十を吐けるだけ」は、巧妙で隠約な感情表現の曖昧さみたいな意味なので、もっと色々言いたいことはあるけれど、「白昼夢のロンド」だけでもう伝えたいことは全部伝わってほしいみたいな隠し方・ほのめかしです。

魚座30度:巨大な石の顔
いっかの幸せ  きっと晴れないで
あなたのそばに  耳を貸す時まで

魚座20度:夕食のために用意されたテーブルセッティング
屈する態度で  言葉さえなくて
心を染めて

 この4行はもう一つ似ている部分があるのですが、あえて違うサビアンにしてみたのは、幸せが形になったとき(雲崗の石窟寺院のように、思っていたものが形になったとき)の様子を思い浮かべている感じが、1番で出てきた「うっちゃる幸せ  ずっと醒めないで」の献身性とは少し違うような感じがしたり、「心を染めて」も相手と一つのになったときをイメージしている感じが。1番の「体を染めて」の献身が動きとしてある感じと少しずれる気がしたので……という感じです。

 たぶんだけど、2番では陽炎のゆらぎ(白昼夢ロンド)を一緒に眺めるところまで行ったけど、そこから先はまだ妄想の中(妄想の中では思っていたものが形になった30度や、一つに楽しくつながっている20度になっている)という気がする。

魚座8度:ラッパを吹く少女
それは
泥泥   はられあられ  将来像  悪くないわ

魚座24度:有人島
屈する私は  生きている

魚座2度:ハンターから隠れているリス
酩酩  重ね重ね  存外  そう悪くないわ
酔いどれ知らずの  物語

 というわけで最後のところなのですが、これも1番と似ている歌詞ですが、前後の流れからあえて違うサビアンにしています。まず、魚座8度はラッパを吹く少女のように、信じているもののために気持ちを奮い立たせている感じ、なので泥々としてはらはら崩れ落ちていくような中に生きていても私は大丈夫、24度の有人島は人々のあいだで調整するような柔軟宮の水らしく色々なものに屈しながらも生きていて、そういう姿が私らしいし、魚座2度はハンターから隠れるリスのように不安を抱えながら本心を隠しているような魚座(酔って本心を隠しながら生きている私の物語)っていう感じです。

 あらためて読んでみたのですが、「酔いどれ知らず」はどことなく感情の揺れが繊細というか複雑で、どっちでもいい的な気分になったり、陶酔的になったりと、かなり独特な動き方をしていて、調整するのが難しいほどごちゃごちゃとした感情の溢れているところに生きているけど、寂しい中でも信じているものにむけて自己犠牲的な感じになりながら夢から醒めないようにしていたいし、渾沌をそのまま放っておけば、もうそんな豊かさの中にどろりと落ちていきそうな私はこういうふうに生きている――、いろいろな歌がある中で、ふと気がつくと「君の中」に迷い込んだような気分になっていたり、想いをほんの僅かだけ吐き出そうとして、でもその僅かな想いで魅せられないかと思ったり、そんなことしていたらいつの間にか願いが叶ったような気分になっていたり、そんなふうに奮い立たせているから、人目をはばかるように生きながらも恥ずかしいけど本心を少しずつでも出せたら――みたいな歌詞なのかもです。

 これを「KING」「エンヴィーベイビー」と並べてみると、獅子座は「そんなふうにしたら目覚めそうで怖いんだけど――」的な雰囲気、水瓶座は「いずれ毀れるものならば、演じるだけで楽しんで」、魚座は「駄目かもしれない中で、こんなに複雑で豊かな感情があって」みたいな歌詞になっていて、それぞれの星座らしさの違いが結構出ていたような(元の曲は別に星座から作ったわけではないですが)。

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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