音楽

デュアン・オールマン 空中階段のインプロヴィゼーション

 ほとんど読む人のいないホロスコープ分析シリーズ、第三回はオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマンです。60年代後半~70年代の音楽が大好きなので偏るのは仕方ない……。

 その頃のスライドギターの名手としてはジョニー・ウィンターと双璧のような人ですが(あと一人あげるとしたらマイク・ブルームフィールドかも)、ホロスコープの感じもジョニー・ウィンターに比べてかなり穏やかです。

 大きく目立つのはミニトライン、火星・リリス合、太陽を中心とした三重合、あとは月・天王星の120度というところで、とりあえずわかりやすい月・天王星からいきます(ハウスは推測。木星は個人天体に絡まないので世代相ということで、ソフトアスペクトだけなのも珍しい……)

 これはたぶん、いい意味で自由すぎるというか人間関係に縛られないという感じですね(記事3回目にして初めての性格読みとか、占星術ブログとしてどうかしている)。デュアンは自身のバンドを作る前は、セッションミュージシャンとして色々な人の録音に参加していたのだけど、スタジオに急にやってきてお金もなしで弾いていたり、録音が終わると私生活では家でずっとギターを弾いていた話は、ふらっとやってきて去っていくような天王星感が強い(クラプトンがのちにデレク&ザ・ドミノスに引き抜こうとしたときも、さらっと断っているし)。

 そうなるとフレーズや音楽の感性に関わっていそうなのはミニトラインと三重合になるのだけど、これは個人的な考えでは同時に出ていると思っていて、とりあえず三重合からみていきます。この角度だと太陽がそれぞれ水星・金星に影響するという形かも。

太陽:蠍座28度 自分の領土に近づく妖精たちの王
水星:射手座1度 ユニオン軍の退役軍人のキャンプファイヤー
金星:蠍座24度 一人の男の話を聞くために山から降りてきた群衆

 太陽は蠍座らしい他者との深い関係の中で、より自分の深い感情や意識に目が向く感じ、領土は心の世界(あるいは生得領域みたいなもの)、水星はちょっとわかりづらいのでルディア版も参考にすると「文明や集団としての達成の基盤となっている闘争の価値を確認する意志」ということで、過去にある目的のために闘った退役軍人たちが集まってキャンプファイヤーで話をしながら自分の生き方がその後も昔の価値観に背いていないか確かめつつそれぞれの生き方をしていく、という意味だと思います。

 金星は一人の話を聞きにみんなが集まってくるのは、どことなくキャンプファイヤーとも重なるけど、「山から降りてきた」っていうのが一つの大事なところで、ふだんは俗世と隔絶して生きている世捨て人たち(そんなに山の中に世捨て人が住んでいたら、世捨て人どうしで会ってしまいそうだけど)が里の人の話を聞いては自分の領域(妖精の王のもつ心の内側の世界)にも少しずつ変化が出てくるという状態ですかね……。色々な解釈がありそうだけど、蠍座的な深い感情が他者によって少しずつ変容しながらそれをまた深く感じる、みたいな意味で、動きのない世界にわずかな流れが起こる深い淵のような山中の人たちの心を表していそうです。

 まとめてみると、それぞれが自らの深い感情につながりながら、それが水星のコミュニケーションに反映されて、ばらばらなメンバーがすっと一つになって目的のために動きつつ別の動きを続ける、さらに金星はそれぞれが分かれて動きつつ絡み合う様子を美しいとする感性となりそうです。

 それが感じられる曲としてはこれですかね(クラプトンとの共演は「Layla」よりこっちのほうが好き)

 中盤のギターは、左側から聞こえるのがデュアン、右側がクラプトン、さらに真ん中に入ってくるのはデュアンです(真ん中をデュアンとするのは、曲の終盤に鳥の鳴き声のようなフレーズがあって、同じようなものがオールマンのライブにもあるため)

 面白いのは、このソロは弾き始めが特に勢いがあって、ぐいぐい駆け上がっていくと途中からクラプトンも乗ってくるので、そうするとデュアンのギターは幾分薄くなって、今度はクラプトンが盛り上がりきると左側のギターは退いたまま、真ん中にもう一本重ねているという配置で、それぞれが別々に動きながら重ねあっていくアレンジは太陽・水星・金星の三重合っぽいですが、この後に書くミニトラインの解説ではそのアレンジがどのように発展していくか考えていきます。

 ちなみに、このときのクラプトンのアルバムは、デラニー&ボニー(アメリカ西海岸で活躍した夫婦デュオ)のツアーにゲスト参加していたクラプトンが、そのバックバンドのメンバーを引き抜いてしまったり、同じくそのコミュニティ内にいたジョージ・ハリスンから妻を奪おうとした略奪愛がテーマの曲が多くを占めるなど、人間関係の泥沼の中にうまれた名盤なのだけど、そのすべてに関わりながら無傷でいられるデュアンは、月・天王星の120度で人間関係からするりと上手く分離する能力が効いているとしか思えない(笑)

 さきにクラプトンについて書いたけど、この頃のクラプトンは60年代後半に一世を風靡したクリームを解散してアメリカに居て、西海岸の粗削りなメンバーとよりブルースの源流に近いような演奏を目指していたのだけど(ザ・バンドのアルバムを聴いて、よりゆったりと柔らかい音楽にあこがれてアメリカに来て、ザ・バンドに入れてほしいと云って断られたので、それに近い雰囲気を出せるメンバーを探していてデラニー&ボニー人脈にたどり着いたという流れ)、西海岸でその演奏を支えていたデュアンは意外とクリームの演奏をモデルにして、みずからのバンドを構想していたという不思議な循環があって、その違いとしては

クリーム:ギター、ベース、ドラムの三者がそれぞれぶつけ合うようにアドリブを展開する。クラプトンは主張のぶつけ合いにかなり消耗していた

オールマン:二人のリードギターとキーボードが交互にアドリブを展開して、ドラム2台とベースがそれに絡みつくような演奏をする。ぶつけ合うというより分担がよくできている

という風になっていて、クリームの長いアドリブは受け継ぎながら、そのぶつけ合いは無くなっているのは中心にいたデュアンの資質がよく出ていると思います。

 というわけでミニトラインなのですが、すべて火星に流れ込むように読んでみると

火星:射手座11度 寺院の左側にある肉体的悟りをもたらすランプ
リリス:射手座9度 階段で子供たちを連れている母親
土星:獅子座9度 ガラス吹き
海王星:天秤座11度 眼鏡越しに覗き込んでいる教授
冥王星:表現の機会を待つ魂

火星からみていくと、「左」はサビアンだと右脳・無意識という意味で使われるので(左半身を動かすのは右脳なので)、肉体的は「音楽という形のある世界で」のような意味で、それが射手座の火星なので盛り上がるように、燃え上がるような強さ、雄渾さをもって融通無碍に飛び回る、という感じですね。

 土星は熱を長い時間をかけて吹き込んで表現する様子で、長めのインプロヴィゼーションはそれっぽいし、海王星は文献でも学生でも深く知って、それぞれをいいところに配して一つの説を作ったりバンドアレンジを考えたりするように大きくて夢のある構想をしてそうで、冥王星は深い表現欲求だと思います。

 さらに火星がリリスに合なのですが、表現的なサビアンが揃っている中で、育てる系のサビアンを持つリリスはやや異色というか、解釈の組合わせ方がわからないかもですが、ここで個人的にデュアンの最高傑作だと思っている『Fillmore East』版の「In Memory of Elizabeth Reed」でみていきます。

(このブログではリリスをかなり重く読んでいるけど、トゥルーブラックムーンリリスは作品の本質に意外と深く関わっていると思っているので、記事を書きながらその仮説も色々検証していけたら面白いかもと思う)

 この曲は最高傑作とされるライブアルバム『Fillmore East』でも特にアレンジの複雑さの違っていて、比較のために一年弱前のVerと並べてみます。

『Atlanta Pop Festival』ver(1970.7)

『Fillmore East』ver(1971.3)

 まずこのアレンジを感じるためには定位が大事だと思っていて、左にいるのがデュアン・オールマン(ギター)、ジェイモ(ドラム)、真ん中がグレッグ・オールマン(キーボード)、ベリー・オークレー(ベース)、右にいるのがディッキー・ベッツ(ギター)、ブッチ・トラックス(ドラム)となっています。この配置は演奏を重ねるうちに練り上げられていったものらしくて(初期のスタジオ版では配置が少し違う)、アトランタ版との違いを挙げると以下のようになります。

・右側にいるディッキーとブッチ、左側にいるデュアンとジェイモの繋がりが深いようになっている
・ブッチはリズムドラム、ジェイモはリードドラムという雰囲気になる
・ディッキーのソロは細かいフレーズを意図的に抑えるようになる
・デュアンのソロでは、二人のドラムの絡み方が定式化して、ベースの駆け上がるようなフレーズが入る

 定位との関係でもわかるけど、前半はディッキー&ブッチの組み合わせであまり細かいフレーズを入れずに抑えめに盛り上げて、中盤でグレッグのオルガンが入るとデュアンの細かい伴奏がよく聞えるようになってきて、後半はデュアンのソロになるのですが、ここの盛り上げ方がすごく練られているので、ホロスコープをみてから聴いたらちょっと感動した。

 まず、デュアンのソロにはジェイモのドラムが細かいフレーズを絡ませる。(映像でみるとわかるけど、この人は本当に手が柔らかい)このとき、基本的には不規則なフレーズを叩くので、ブッチがリズムを維持してくれるお陰で音が分解しすぎないで済んでいる。デュアンのソロは同じようなフレーズを繰り返すので、ジェイモはかなり安心して色々と試す余地があり、そうしているうちにブッチが少しずつ不規則なフレーズを入れるようになる。すると、今度はブッチのほうが音量が大きく設定されているので、ジェイモはリズム担当になって、いよいよ乱れて盛り上がるとベースが駆け上がるようなフレーズを入れて、バンド全体が一段上に昇ったような感じになり、さらにデュアンのソロにまたジェイモが絡み……という流れが数回繰り返されて、浄化された興奮のようなものがやってきて……(略)

 この流れって、デュアン&ジェイモの左側から少しずつ波のように盛り上がりが伝わっていくようになっていて、定位をアレンジに活かしている例としてはかなり珍しいと思うし、もしかしてリリスの子供たちを連れて階段を昇るイメージが無自覚にも現れているように聞えたりするのだけど、さらにメンバーの個性を見抜いて美しすぎる構想を練る海王星や、それぞれの響き合いを楽しむ太陽の三重合も混ざっているようで、『Fillmore East』はバンドとして一段深まった感じがあったと感じていたらしいけど、本当にすごいと思う。

 この流れでさらに他の曲もアレンジが変わっていくと、「Statesboro Blues」あたりもデュアンのギターにグレッグのオルガンが絡んだり、前奏ではディッキーが不規則なフレーズを重ねてあえて上げたり落としたりするみたいなアレンジになってそうで、それはそれで見てみたかった気がする(デュアンについてこんなに語ったのは初めてだけど、分量が多くなりすぎて驚いている…)

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ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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