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欄干の十二曲

 最近、ハウス同士は結びついているのかも知れないみたいな記事を書いたり、そういう読み方でホロスコープを解釈してみたのですが、各ハウスでどのようなことをするかを詩や大商家の屋敷で喩えてみるという遊びの記事です(詩はすべて物悲しい美しさを帯びている古詩十九首で喩えます)

 いきなり12ハウスから始まるのもどうかと思うけど、12ハウスは家でいうと納戸みたいなところで、久しぶりに開けてみたら忘れていた感情が溜まっていた部屋です。詩で喩えると「明月何皎皎」みたいになる。

明月何皎皎、照我羅牀幃。憂愁不能寐、攬衣起徘徊。客行雖云楽、不如早旋帰。出戸獨彷徨、愁思當告誰。引領還入房、涙下沾裳衣。

明月は何とも皎皎として、私の羅牀(さらさらとした布団)の幃(とばり)を照らす。
愁いては寐(眠)れず、衣を攬(まとめ上げては)起きて徘徊する。
客として行くのは楽しいと云うけれど、早く旋帰(帰る)ほうがいい。
戸を出でては獨り彷徨(さまよい)、愁思は誰に告げるべきなのか。
遠くを望んではまた房(部屋)に入り、涙は下(流れて)裳衣を沾(濡らす)。

 この人はきっと夜だけは獨りで彷徨できるけど、また朝が来るとそのときの思いすら気づかなくなる様子が12ハウスらしいというか、納戸に夜に一人で入ってみると、古いものに埋れているときの懐かしさみたいな感じを思い出すみたいな。

 同じ落ち着きでも4ハウスになると、もっと記憶にある感じの落ち着きになって、詩で喩えると「駆車上東門」が近いです。

駆車上東門、遥望郭北墓。白楊何蕭蕭、松柏夾広路。下有陳死人、杳杳即長暮。潜寐黄泉下、千載永不寤。浩浩陰陽移、年命如朝露。人生忽如寄、寿無金石固。万載更相送、賢聖莫能度。服食求神仙、多為薬所誤。不如飲美酒、被服紈與素。

車を駆って東門に上っていけば、遥かに郭北(街の北の)墓を望む。
白楊(はこやなぎ)の何とも蕭蕭(さらさらとして)、松や柏の広い路を夾む。
下には陳(古くに)死した人がいて、杳杳として長(いつまでも)暮れている。
潜って黄泉の下に寐て、千載にして永く不寤(覚めず)。
浩浩として陰陽(昼と夜)の移り、年命は朝露のごとし。
人生は忽ちにして寄せるようなもの、寿も金石の固さはなし。
万載にしてさらに相送(過ぎてゆき)、賢聖とても莫度(越えられない)。
服食して神仙を求めても、多くは薬のせいで誤(死んでしまう)。
美味しい酒を飲んでは、紈素(きれいな服)を被服(着る)ほうがいい。

 4ハウスは墓のようにすべてが流れ着く場所、眠るときの落ち着きなので、大店で喩えると一番北にある寝室です。そういう墓や眠りのような落ち着きに浸ったあとには、その寝室から少し行ったところにある大きい庭園(そこでは変わった石や迷うような築山、小さいけれど手の込んだ離れの部屋のようなものもあって、若い人の遊び場になっている)で美味しい酒と飲んで、きれいな服を着て遊ぶみたいな詩です(最後の二句だけ5ハウスっぽい)。

 同じ遊ぶでも、5ハウスはみずから着飾っては鏡のような緑の池に映るのをそれぞれに楽しむような遊び場で、11ハウスはそれぞれ思うことは色々ありつつも皆で集まって楽しむこと、喩えていうと宴会場みたいな場所です。

今日良宴会、歓楽難具陳。弾箏奮逸響、新声妙入神。令德唱高言、識曲聴其真。斉心同所願、含意俱未申。人生寄一世、奄忽若飇塵。何不策高足、先據要路津。無為守窮賤、轗軻長苦辛。

今日の良い宴会、歓楽はすべて陳べ難く、
箏を弾いては逸響を奮わせ、新声の妙は神に入る。
令(良)き德のひとは高言を唱え、曲を識りては其の真を聴く。
心を斉しくして願うことも同じで、意を含みてすべては申さず。
人生は一世に寄せるもので、奄忽(たちまちにして)飇(漂う)塵のごとし。
どうして高足(早馬)に不策(鞭打たないのか)、先に要路津(大きな路や湊)に據るべきに
窮して賤しきを守って、轗軻(がたがたと)いつまでも苦辛(苦しむ)なかれ。

 最後の四句は10ハウス的で、より高いところに入りたいと思うことで、それまでの雰囲気は11ハウスの皆で楽しむけど、それぞれ違っていいという印象がある。それぞれが吾歌詠まむ、君箏弾けのように持っているものを出し合って楽しむけど、その人たちは商家においては帳場・番台(『千と千尋』で薬湯の札を配っていたあれです)から外れたような人たちがどんちゃん騒ぐような宴会場です。帳場に座るような身にはなれなかったけど、今日の佳き宴会ではそれも忘れて楽しみたい、ここでは皆一列に座るのだからという部屋が11ハウスで、ふだんあちこちに指図をしたり表向きのことを捌いているのが10ハウスです。

 10ハウスが実務的なことだとしたら、もっと感情的・精神的な高み・深みのようなことを扱うのは8ハウスと9ハウスだと思う。

冉冉孤生竹、結根泰山阿。與君為新婚、菟絲附女蘿。菟絲生有時、夫婦会有宜。千里遠結婚、悠悠隔山陂。思君令人老、軒車来何遅。傷彼蕙蘭花、含英揚光輝。過時而不采、将随秋草萎。君亮執高節、賤妾亦何為。

冉冉(つやつやとした)孤りの竹は、根を泰山の阿(窪み)に結ぶ。
君と新たに婚を為し、菟絲(蔓草)は女蘿(別の蔓草)に絡み合う。
菟絲(蔓草)の生えるのは時があり、夫婦の会うのも宜い時がある。
千里の遠きにも婚を結んで、悠悠として山陂を隔てる。
君を思うのは私を老いさせ、軒車の来ることは何とも遅いので
あの蕙蘭の花が、英(花びら)を含んで光輝(ひかり)を揚げているのを傷(悲しむ)。
時を過ぎても不采(採らないと)、秋草に随って萎れてしまう。
君は亮(本当に)高節(固く誓っているのだろうけど)、賤妾(この山に一人の私は)さらに何もすることがない。

 最後の「君亮執高節」は9ハウスで高い精神的なものを頼りに生きていくこと、8ハウスはそれ以外の句で、相手と一つになることです(あるいは持っているものを一つにまとめる様子)。大商家に喩えると、8ハウスは祖神を祀っている部屋で、位牌などがたくさん並べてある様子(その部屋にある位牌や供物の果物などは、誰のものでもなくその屋敷のものみたいな感じ)、9ハウスは食客・清客たちの集っている部屋です。清客は学問や芸術などで大店の主人に養われており、そのときどきに楽しませるような話をしたりそれぞれが深い造詣をもっていたりするけど、別に店のことをあれこれ口出しはしないイメージがあります(9ハウスは外から集まってきた食客・清客の間、8ハウスはその店の代々の人たちのための間なので、8ハウスでの祭祀に9ハウスの人たちはあまり関わらない。これは天体の配置にも依るけど)。

 他者と繋がることについては7ハウスと8ハウスがあって、喩えているなら7ハウスは「私とあなた」、8ハウスは「あなたは私」の世界です。7ハウスは相手と私の区別があって、相手からみてどう見えるかの世界(多少の取り繕いがある)、8ハウスは一つの感情を相手と共有している感覚で、詩に喩えるとこんな違いある。

青青河畔草、鬱鬱園中柳。盈盈楼上女、皎皎当窗牖。娥娥紅粉粧、繊繊出素手。昔為倡家女、今為蕩子婦。蕩子行不帰、空牀難獨守。

青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳。
盈盈たる楼上の女、皎皎として窗牖(窓)に當る。
娥娥とした紅粉の粧(装い)、繊繊として素手を出す。
昔は倡家(娼家)の女となって、今は蕩子(放蕩人)の妻となる。
蕩子は行きて帰らず、空牀(寂しい寝室)は独りで過ごし難い。

 8ハウスの詩では、もう既に一つになっているものを無理やり切り分けたようになるので、もはや半分に切られると成り立たないほどに傷つくような感情を描いていて、7ハウスの詩では一応は私とあなたは別の人だからという感覚は残っているけど、それでも8ハウス的な「空牀(寂しい寝室)」に入るとそれに流れそうになるみたいな詩です(ハウス的に詩を読むとか初めてだけど)。

 そして、朝になると6ハウス的にまた普段通りのことをする日々が待っていて……というのが続いているのかもと思う。7ハウスは屋敷の中では客間に近いと思います。客間ではどのような客が来るか、1ハウスとの対で表されていて「(1室:うちはこういう店だから)客として来るのは(うちと真逆の)こういう人たち」みたいなイメージです。6ハウスは『千と千尋』の下層階の部屋です(表には出さずに、内向きのことをする場)。

 残りは1・2・3ハウスなので、まずは2ハウスと8ハウスの対比から。2-8ハウスの対比はこんな感じになる。

庭中有奇樹、緑葉發華滋。攀条折其榮、将以遺所思。馨香盈懐袖、路遠莫致之。此物何足貴、但感別経時。

庭の中には奇(佳い)樹が有って、緑の葉は華の滋(つやめき)を發する。
条(枝)を攀(取っては)その榮(華)を折り、思うところに遺(贈ろうとする)。
馨香(かおり)は懐や袖を盈たすけど、路は遠くしてこれを莫致(届けられず)。
此の物は何も貴ぶに足らなくて、但だ別れて時を過ごすことを感じるだけですが。

 最初の五句くらいまでは持っているものを楽しむ2ハウス、最後の三句はそれを二人で楽しむことが大事な8ハウスだと思う(2ハウスは有、8ハウスは共有)。商家でいうと2ハウスは売り場のように商品などを置いておくところで、より物っぽいけど、8ハウスはもっと伝統や雰囲気などぼんやりとしたものも含まれる気がする。ちなみに、最近別のブログ(『易林』を読んでいくブログ)でこの詩によく似た雰囲気の作品をみつけたけど、2ハウスのように物はたくさんあるけれど、8ハウスのような共有したい思いは満たされないという感情は、易の言葉で書くと「需:待っている」から「蠱:腐っていく」になるらしいです(こういう視点で文学を分類していたのが、『易林』作者の焦贛だったような気がする)。

 最後は1ハウスと3ハウスなので、それっぽい作品はたぶんこれです。

西北有高楼、上與浮雲斉。交疏結綺窗、阿閣三重階。上有弦歌声、音響一何悲。誰能為此曲、無乃杞梁妻。清商随風發、中曲正徘徊。一弾再三嘆、慷慨有余哀。不惜歌者苦、但傷知音稀。願為双鴻鵠、奮翅起高飛。

西北には高い楼があり、上は浮いている雲と斉しい。
疏(彫り込み)を交えて綺を結んだ窗で、阿閣(楼閣)は三重の階の上にある。
上からは弦歌の声がして、音の響きはひとえに何とも悲し。
誰が此の曲を為(作ったのか)、悲しく泣いた杞梁の妻もいないのに。
清商(澄んで悲しい音)は風に従って發(出て)、曲の中場でちょうど徘徊(翻る)。
一たび弾いて再三に嘆かせ、慷慨(想いの溢れ出て)余るほどの哀しみもある。
歌う者の苦しいのは惜しくはないけれど、但だその音を知るのが稀なのを傷(悲しむ)。
二つの鴻鵠(大きい鳥)になって、翅を奮って起ちては高く飛びたいと願いますが。

「曲の半ばでちょうど徘徊する」あたりまでは周りの様子をみている書き方なので3ハウスっぽいけれど、その後は楼の上で弾いている人に代わって「私こそが悲しいのだけど」という思いが前に出てくる。本人からしたら悲しんでいるとは云ってないはずだけど、その人の話す言葉やものの見え方などが全て悲の色彩を帯びているような(というふうに他の人からは感じられる)のが1ハウス感だと思います(何をしても1ハウスの星座の色彩を帯びているのは、どんなことを云ってもこの詩の作者が悲の色彩を帯びるみたいなイメージで……)。

 3ハウスは身の周りのことを知る場なので、大きい屋敷の中にある私塾のような場所、1ハウスはその店の象徴や全体に漂う雰囲気なので、看板や門みたいな感じです。門のそばに掲げてある看板には、その店のイメージがいろいろな形で凝縮されているみたいな。

 ちなみに、4ハウスで月・天王星・海王星三重合のステリウム持ちなので、古い詩や風景を切っては貼り、こういう詭怪な記事を書いて楽しむ感が出ているなぁと思う(古い:4室の山羊座、詩:海王星、詭怪:天王星)。

 月とICは山羊座なので、6室魚座土星(魚座23度:スピリチュアルな現象)ふうの現象と精神の絡み合いとかも好みで、しかも6室なので毎日続けても飽きない。あと、4室山羊座海王星とミューチュアル・レセプションなので、6室でも苦しむというより落ち着く感じがして、北の寝室と使用人部屋がつながるタイプの屋敷です(アセンダントのアルムーテンも魚座土星、MCは蟹座なので、主要メンバーはほとんど寝室周辺にいて、看板や帳場を管理している)。

ABOUT ME
ぬぃ
占い・文学・ファッション・美術館などが好きです。 中国文学を学んだり、独特なスタイルのコーデを楽しんだり、詩を味わったり、文章書いたり……みたいな感じです。 ちなみに、太陽牡牛座、月山羊座、Asc天秤座(金星牡牛座)の月天王星海王星合だったりします笑。 易・中国文学などについてのブログも書いてます

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