「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、南宋末の随筆家として、周密(しゅうみつ)という人についてかいてみます。
周密という人を、たぶんほとんどの方は知らないとおもうのですが、わたしの印象でいうと「すごく南宋らしいなぁ……」という人だったりします。
なんとなくですが、北宋の文人って、すごく自信があってしっかりと骨の太い雰囲気です。一方で、南宋の文人って、ちょっと淡くて、線が細くて几帳面みたいなイメージなのですが、周密はいかにもそういうタイプの魅力があります。
というわけで、さっそく紹介にいってみます。
洗練された詞
まず、周密は詞がすごく洗練されています(こちらはバラを詠んだものになります)
花の香りは雲色の閣にまで届き、柳の陰にはぼんやりと春の城壁がみえるのです。丹塗りの欄には明月が螺鈿の筝を照らしていて、宴を離れてもたれかかれば春の花の影ばかりなのでした。
翠の長い枝はするするとうねる白い龍の晴れた雪をまとったごとく、緞子のかかった籠のような紫の鳳は香る雲をおびているので、東風が玉を散らせば庭はひっそりと静かなのでした。二十四の簾もうすい春の青なのです。
花気半侵雲閣、柳陰近隔春城。画闌明月按瑶筝。醉倚満身芳影。 翠格素虬晴雪、錦籠紫鳳香雲。東風吹玉満閑庭。二十四簾春靚。(周密「西江月・荼蘼閣春賦」)
かなり意訳しているけど、すごくおしゃれな雰囲気がしませんか……。ちなみに、とくに好きなのは「翠格素虬晴雪、錦籠紫鳳香雲」です。
春のおわりに、バラの長い枝が白い花をつけているのが、するするとして雪をまとった龍のようで、別の枝は緞子をかけた籠のように大きくふくらんだ花が、まるで雲をおびた紫の鳳凰みたいにみえて……というのが、とても繊細な感覚です。
(比喩を詰めこみすぎ……。こんなふうに比喩の上にさらに比喩をかさねていくスタイルは、たぶん北宋の周邦彦を真似しているかもなのですが、周邦彦はもっといい意味でいびつです)

この優雅に洗練された感性が、いかにも南宋末期っぽいです。南宋になってくると、今までの作品などを研究していって、より安定していいものがつくれるようにしていく――という雰囲気になってきます。
そして、周密もいろいろな作品の研究をしているのですが、それがかなり面白い&参考になります。
随筆の大家
南宋になると「詩話(詩の評論)」とは別に、もっと雑多な感想などをまとめた「随筆」がたくさん出てきます。
周密は、この随筆をすごく多く残しています。そして、研究内容は、ちょっとした語彙の由来だったり、詩についての不思議な話、さらにはかなり深いものまでいろいろあります。
まずはすごく短いものからいきます。
北宋の晏殊は「牡丹の詩を献上する挨拶」において、「その花は、清密の園にたくさん咲いていて……」と書いていた。
「清密」の二字は、多くのひとがあまり見慣れないと感じているらしいけど、たぶん後漢のころの「東京賦」では「宮中の室はすべて清密で、みな澄んだような静かさで――」というのを借りている。
晏殊嘗進「牡丹詩表」云「布在密清之囿。」「密清」二字、人多不暁、蓋用「東京賦」中語「京室密清、罔有不韙。」(周密『浩然斎雅談』巻上)
これは、あまり見慣れない語がどこから出てきたのかをかいているものです。なんていうか、作者としてもすごいけど、評論家として超一流な匂いがしませんか(笑)
もうひとつ、詩についての不思議な話をのせてみます。
蘇軾があるとき山中から帰ってくるときに、雲がまるで馬のむれのように山のほうから下ってくるのに出会った。なので、竹の箱をあけて、その中に雲を入れておいた。帰ってきてから、そのつかまえておいた雲を箱から出して、それを詩にした。
道中にて雲と出会い、ふわふわさらさらと雷のごとく過ぎていったので、その雲たちは誰に命じられて、もこもこと下っていたのだろうか。
ある雲はわたしの車に入ってきて、ほこほことして肘や腿あたりに溜まっていた。なので小箱の中につかまえて、麓の家までつれて帰ってきた。蓋を開ければほわほわとして、縺れながら形を変えていた。
どうやら山の中の雲は、つれて帰れるらしい。
坡翁一日還自山中、見雲気如群馬奔突自山中来、遂以手掇開籠、収於其中。及帰、白雲盈籠、開籠放之、遂作「攓雲篇」云「道逢南山雲、歘吸如電過。竟誰使令之、袞袞従空下。」又云「或飛入吾車、副仄人肘胯。搏取置笥中、提攜反茅舍。開緘仍放之、掣去仍変化。」然則雲真可以持贈矣。(周密『斉東野語』巻七)
かわいい話です(笑)
詩がつくられたときの逸話みたいなものですが、周密はちょっと収集癖みたいなものを感じます(笑)
周密の蘇軾研究
周密はかなり蘇軾のことに興味をもっていたらしく、さっきの雲の話のほかにもいろいろと書いています。こちらは、蘇軾のかなり深いところを描いているとおもいます。
蘇軾の「九成台の銘文」について、ある人が「江山のうねって、草木の茂っている中を、風が吹き抜けたり、鳥や獣が鳴いているのを“天の音”といっている。でも、もともとの荘子では、これは“地の音”であり、文が上手いので、つい騙されてしまう」といっていた。
わたし的は、荘子ではもともと「地の音は木々のすき間などに風が吹きぬける音で、人の音は笛とかのこと。天の音とはなにかといえば、そのさまざまな音が、すべてそのように鳴っている世界の音のことなのだ」とあったので、鳥の声や風の音も、すべて天の音だと思うのだが。
あと、別の人は「そもそも“銘”というのは、韻を踏むのが条件なので、これは韻が入っていないと思っていた。しばらく読んでいて、その韻の踏み方の上手さにおどろいた」といっていた。
坡翁「九成台銘」、……謂「……以江山吐呑、草木俯仰、衆竅呼吸、鳥獣鳴號為天籟、此乃荘子所謂地籟也、但其文精妙、故読之者或未察耳。」予嘗因其語以考荘周之説云「……地籟則衆竅是已、人籟則比竹是已。敢問天籟、……夫吹萬不同、而使其自己者。」……則所謂鳥獣之鳴號、衆竅之呼吸、非天籟而何?……云「東坡九成台銘、実文耳。而謂之銘、以其中皆用韻。而読之久、乃覚是其妙也。」(周密『浩然斎雅談』巻上)
これは蘇軾が、ある楼閣(九成台)をほめた作品についてです。
まず、内容についてです。自然の中の音は、すべて「地の音」なのだから、「天の音」といっているのは違うのではないか――という批判があるけど、地の音や人の音をふくめて鳴っているすべてが「天の音」なのだから、蘇軾のままでいい、としています。

そして、韻については原文がないと説明しづらいです……。
秦が天下を統一してから、古い世の雅楽は途絶えてしまったが、それでもなくならないのは、日月の寒暑昼夜と風雨のめぐりが天地の間をながれていることなのだ。世にはもう荘子のころの人もいないのだから、地の音すら聞こえず、天の音など聞こえないと思っていた。
もし天の音がきこえたら、きっとこの世にあるものは、すべて私の笛や琵琶のごとく豊かな音色にあふれているだろうと思いながら、ためしに貴方のつくられた雅楽の巌にすわり、古き世の峰の下にいれば、南楚の山水はぼやぼやと遠くかすんで、おおきい山はのよのよと這っているのだった。
さて、江山のうねり盛り上がる様子をみれば、その上に草木もゆれているようで、鳥獣の鳴く声や、老木の穴が息をするような音すらも、あちこちに流れて唱和しているごとく、笛の長さなど決めずともまるでひとつの曲のようで、これこそ古き世の雅楽ではないか。
上には日月のめぐり正しくして天下もやすらかに、人は穏やかにして気もなごやかに、気もなごやかにしてその音は柔らかく、この音は笙にて九つの古曲をふけば、まるで鳳凰が遊びにきて舞いつづけて、楼の前に五つの色が散るようなのでした。
自秦並天下、……韶則亡矣、而有不亡者存。蓋常與日月寒暑晦明風雨並行於天地之間(an)。世無南郭子綦(i)、則耳未嘗聞地籟(i)也、而況得聞於天(an)。使耳聞天籟(i)、則凡有形有声者、皆吾羽旄干戚管磬匏弦(an)。嘗試與子登夫韶石之上(ang)、舜峰之下、望蒼梧之渺莽(ang)、九疑之聯綿(an)。覧観江山之吐呑、草木之俯仰(ang)、鳥獣之鳴號、衆竅之呼吸、往来唱和、非有度数而均節自成(eng)者、非韶之大全(an)乎。上方立極以安天下、人和而気応(ing)、気応而楽作、則夫所謂簫韶九成(eng)、来鳳鳥而舞百舞者、既已粲然畢陳於前(an)矣。(蘇軾「九成台銘」)
わかりやすく色づけしましたが、とてつもなく複雑な韻になります(見逃しあるかも)
最初は「an・i」だけで始まり、つねに「i」が細く鳴りながら、真ん中の山水になったとたんに「an・ang」の密度があがって、しだいにほそい「ing・eng」が入り、また「i」メインになってほそく消えていく風みたいになります。
ちなみに、もとになった荘子でも、こういう盛り上がり方で風をかいているので、蘇軾はさらに音で再現しているのがわかります。
蘇軾はこういうのをたぶん感覚で毎回生み出していくタイプで、周密は分析してマニュアル化していくタイプっぽいです。あと、北宋の人たちって、けっこう自分の実体験を重視するけど、南宋になると前の人たちのことを整理していく雰囲気があります。

でも、蘇軾がかなり荘子っぽさを取り入れていて、しかも音が風のように練り上げられている――という研究は、すごく魅力的です。
というわけで、南宋末期の周密についての記事でした。作者としてもすごいけど、評論家・研究家としてはさらにすごいなぁ……と思うのですが、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。