「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、宋代の詩についてかいていきます。宋代の詩って、あまりイメージがない方も多いとおもいますので、すごく大まかな雰囲気だけでも伝えられれば……という感じでいきます。
宋の詩の作風って、あまりはっきりと分かれる感じがしないのですが、ここではなんとなく私の感じている四つの時期でみていきます(年代はなんとなくの雰囲気です……)
北宋前半:960~1050くらい
北宋後半:1050~1127くらい
南宋前半:1127~1200くらい
南宋後半:1200~1276くらい
というわけで、さっそく紹介に入っていきます。
北宋前半
北宋の前半は、なんとなく唐の終わり頃(晩唐)っぽいです。

ちょっと耽美的だったり、繊細な色合いの詩が多いかもです。あと、すごく私だけの感覚なのですが、なんとなくパステルカラーっぽいです(笑)
寺の垣根は奥までつづく竹林を隔てて、山近くの路は古い皮のかわいた竹の間を通りました。その竹は、あなたの家の客間にて、白い壁を隔ててみた竹のようでした。
寺籬斜夾千梢翠、山径深穿萬籜乾。却憶貴家庁館裏、粉牆時画数茎看。(林逋「竹林」)
かなり薄味な耽美という感じですかね……。色もあかるくて淡い碧・黄色っぽいのが、なんとなくパステルっぽいです。
わたしのイメージですが、“すごく清らかで澄んだ喜びを感じながら、この時間をすごせて嬉しい――”みたいな感情は、なんとなく北宋前半っぽいかもです(これはこれで好きです)
北宋後半
いかにも北宋らしい詩がでてくるのはこの辺りです。この時期は、ざっくりいうと蘇軾とその門下生の時代です(それ以外にもたくさん有名な作者はいますが、だいたいの時期としてのイメージです)
蘇軾はちょっと才能としての規模が違いすぎるので、ここでは書けません(蘇軾大好きです)

蘇軾の門下生には、秦観・黄庭堅などがいます。とりあえず、秦観(しんかん)からみていきます。
たまたま遊んでいたときにまだらの龍を逃がしてしまい、天帝に怒られて崑崙の北に落とされた。崑崙はなんとも高く、天に近くして触れるばかりで、美しい穂はどこまでもさらさらと揺れて、玉は紅々と林のようになっていた。
一つの面には四百の門があって、間の楼台は雲気をまとっていた。ただ私は竹の札を持たずに門の外に出てしまったので、なかなか入れなかった。群仙たちはつぎつぎ横を通りながら、私がいつまでも引っかかっているのを憐れむ。
仕方なくわたしは崑崙に入るのを諦めて、ここで暮らして何年も経つのだが、むかしの家族や友だちは私が帰ってきたのを喜び、懐かしんで泣いてくれるものもいて、この世に暮らすことを君も嘆かぬように。高いところは鳥の巣もがたがたの巌の上なのです。
偶戲失班龍、坐謫崑崙陰。崑崙一何高、去天無数尋。嘉禾穂盈車、珠玉烱成林。……一面四百門、宮譙雲気侵。闕然竹使符、難矣暫登臨。群仙来按行、憐我久滞淫。力請始云免、反室歲已深。親朋喜我来、感歎或霑襟。塵寰君勿悲、殊勝巣嶔崟。(秦観「偶戯」)
ちょっと何か裏にふくませた意味があるのかなぁ……と感じさせる詩です(でも、秦観はかなり読みやすくて色味もきれいで、すごくバランスがいいタイプです)
こんな感じで、この世界についての考察みたいなことを詩に込めていくのが、北宋後期の雰囲気になります。黄庭堅もみていきます(これは琴を詠んだものです)
のろのろと黒い神に目や耳がはじめてできて、伏羲(古い時代の蛇神の王)の心がわずかにのぞいたときのような――、物は天地より先にあったけど、みんな陸に沈むように静かだったころのこと。
山から切りだして大きい厦(宮)をつくるごとく、たたらを踏んで金の鼎を鋳るように、三尺の桐の木はまだ弦がなくても、古い世の澄んだ音を湛えている色で――。
鑿開混沌竅、窺見伏羲心。有物先天地、含生尽陸沈。伐山成大厦、鼓橐鋳祥金。三尺無絃木、期君發至音。(黄庭堅「次韻高子勉十首 其八」)
……これは琴の話なのでしょうか(笑)
琴の材料になる桐の木が、まだ山にねむっていたときの様子が前半のところです。後半は、その木が切りだされて琴になる様子なのですが、すごく独特な比喩が重ねられています。
とくに注目したいのは「鼓橐(たたらを踏む)・祥金(吉祥の金鼎)」などです。いずれも木を加工して琴にしていくことの比喩なのですが、一見すると琴からすごく離れた場面になっています。
しかも、「祥金」で「吉祥の金の鼎」って、すごく不思議な縮め方です。「祥金」だけ書くと、むしろてらてらと妖しく光っている金の塊がうねっているみたいな雰囲気があります。こういうひねりの効いた表現を好むのが黄庭堅らしさです。
あまり詩に入れられないような変わった語や、もともとはまったく違う題材に用いられていた語などをさがしてきて、それを詩に混ぜていく作風は、「江西詩派」とよばれて、北宋後半~南宋初期あたりにすごく流行ります(黄庭堅は江西省の出身なので)
南宋前半
南宋の最初のころに流行っていた江西詩派のスタイルは、あまりに凝りすぎると読みづらくなってしまうので、もう少し自然で読みやすいものがメインになっていきます。
あと、この時期のスタイルは「枯れ葦の色」をしています(南中国の秋の水辺の、ちょっと民間の生活も感じさせるような、ひんやりとした風趣があります)
こちらは黄帝(中国のすごく古い時代の王)のことを詠んだ詩です。
百年の功は終わって天地を抜けだし、大きな鼎は冷めてそれに湛えられた湖も静かに澄んでいる。その恩恵はどこかから今でも流れていて、皇家は代々その子孫だというけれど。
百年功就蛻乾坤、鼎冷湖空跡尚存。別有慶源流不尽、皇朝葉葉是神孫。(王十朋「詠史詩 黄帝」)
「大きな鼎は冷めてそれに湛えられた湖も――」がいかにも枯れ葦だらけの風景という感じがしませんか。内容もどこかひねりは残しながら、ほどよい読みやすさになっています。
(古い時代の黄帝は、ここにある湖を大きい鍋のようにして天地をいろいろと整えていったらしいけど、今はもうひんやりと静かで――、でもすごく古い時代の趣きを感じさせるような湖です……というのが、考察と情趣の中間っぽいです)
青々としてめぐる竹林から離れて、西風の鳴る垣が枯れ藤に絡まっております。道人は朝顔が絡まって過ぎていくのに任せておりますので、裏山の北をとおった僧はしばらく眺めておりました。
不見青青繞竹生、西風籬落抱枯藤。道人一任空花過、愁殺山陰覔句僧。(姜夔「朴翁悼牽牛甚竒余亦作」)
あえて水辺ではない作品を選んでみました。ですが、この小さい裏山(たぶん7mくらい笑)のすぐ近くには、やはり水があって、そこに吹く風もわずかに冷たい湿気を帯びている気がしませんか。
こんな感じで、ひんやりとしてちょっと洗練された感性で楽しむ水郷っぽさが、南宋前半らしい気がします。あと、この時代は「詩話(しわ。詩の評論)」がたくさんうまれて、詩の理論化がすすんでいきます(こちらの姜夔は、作品と理論がすごくきれいに重なっています)

南宋後半
いよいよ南宋後半です。この時期は、ひとことでいうと「不気味なほど夢想的」です。
宋は南に移ってからも、金(黄河あたりの国)とはそれなりに落ち着いた関係を保ってきたので、あまり大きな混乱はなかったのですが、しだいに北のほうではモンゴルの影がのぞいてきて、不安な雰囲気になっていきます。
夢なのか現実なのかよくわからない世界を漂っているというか、すごくあやうくて不安を紛らわせているような味わいが、正直ちょっとこわいです。
聖人は八方を開いていき、造物主と遊ぶほどだったという。大きいめぐりはいずこにも見えず、求めて知ることもできないのに、大きな鳥は天を飛んで、濁った酒壺に生まれたはずではなかったのに――。澄んだ風が林麓に鳴りました。月が千の山に落ちて夜は静かなころでしょう。
至人斥八極、獨與造物游。大道無端倪、詎可以力求。鵬摶翅垂天、不作醯鶏謀。清嘯發林麓、月落千山幽。(周密「古意四首 其一」)
この少しずつ追い詰められていく世界――のような感じが、この南宋後半らしさです。あと、ここでは紹介しませんでしたが「夢」という字をよく用いる印象です。
そして、南宋が亡びたあとも生きている人は多いので、実際は元のはじめあたりも似たような雰囲気があります。つづいては、南宋がほろびるときの作品になります。
古い林の陰はひっそりとして人も来ず、一つの淵が澄んだ碧の水をたたえて山中の寺をめぐっている。さらさらと落ちる瀧は風雨を散らしたように激しく、山に響いて深い谷に呑み込まれて遠くで鈍くしずんでいく。
夜明けの空は淡い紫から紅に染まり、木々の間の霧たちは涌くように煙るように立っていて、金の朝陽が射せば海は紅く光るようで、その灼くような色は林の鳥たちをざわめかせるのでした。
古陰寂寂人蹤稀、一泓凝碧環招提。洪音清韻繫風雨、山鳴谷響声遅遅。昧爽初分天欲暁、嵐気升騰迷木杪。金烏鼓翼海色紅、爍醒林中正棲鳥。(謝枋得「書林十景 其九 宝応朝陽」)
もはやきらきらを越えてぎしぎししています。天地が沈んでいく前のわずかな耀き――という感じがしませんか(夜に眠らずに朝の風景をみると、なんかこういうふうにみえる気がする笑)
不安のあまり眠れずに夜があけて、山中の仏寺でぎらぎらと刺すような朝陽につつまれている寂しさと明るさが怖いほどでています(しかもこの連作は十首すべてがこの雰囲気なのです。)
というわけで、すごく無理やり詰め込みましたが、宋代の詩についてなんとなくの流れを書いてみました。もっとも、宋は作者がすごく増えるので、この記事では全体の雰囲気だけになってしまいましたが、だいたいの流れだけでも感じていただけたら嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。