「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、宋詞の曲についていろいろ紹介していきたいと思います。
もっとも、すでに宋詞の曲は、盛り上がる場所にはけっこう密度のある歌詞をつけていたらしい……みたいな話はしているので、今回はちょっと変わった味わいや由来のある曲をみていきます。

というわけで、さらっと書いていきます。
字字双
まずは「字字双(じじそう)」という曲についてです。この曲は、すごくふしぎな話がのこっています。
中央から地方にいくときのある役人が、官営の宿舎に泊まったとき、紅い裳をぬいで、錦衣をかけて、寝ようとしていた。
すると一人の童子が、酒壺をもって走ってきて、扉から入り、さらに三人がつづいてきた。みな古い服装をしていて、「崔常侍はまだなのだろうか」といっていた。そんなとき、つづいて入ってきたものがいて、寂しげに別れる前のような表情だった。これがおそらく崔常侍らしい。
その四人は酒を飲みながら、みんなで詩を作りだして、おわりに崔常侍が一句をそえた。みていた役人が起き上がると、四人は顔をみあわせて、さびしそうに消えていき、風雨のような声がした。入ってきたはずの部屋の戸は閉じられていて、その酒壺や詩はそのままおいてあった。
みていた役人は不思議におもっていると、つぎの朝には宿舎のひとが「里の者で、酒壺がなくなったという訴えがあった」といっており、昨日の酒壺をみせると、まさにそれだった。
四人がつなげてつくった歌には「枕元には錦のふとんがきらきらとしてきらきら、衣架けの上には朱の衣がほこほことしてほこほこ、しずかな庭には白い月がひそひそとしてひそひそ、夜は長くて路は遠く、山路はどこまでもつづく」
有中官行宿於官坡館、脱絳裳、覆錦衣、燈下寝。忽見一童子、捧一樽酒、衝扉而入。続有三人至焉。皆古衣冠、相謂云「崔常侍来何遅。」俄復有一人続至、悽悽然有離別之意。蓋崔常侍也。及至挙酒、賦詩聯句、末即崔常侍之詞也。中官将起、四人相顧、哀嘯而去。如風雨之声。及視其戸扃閉如舊、但見酒樽及詩在。中官異之、旦館吏云「里人有會者、失其酒樽。」中官出示之、乃里人所失者。聯句歌曰「牀頭錦衾斑復斑、架上朱衣殷復殷。空庭朗月間復間、夜長路遠山復山。」(『太平広記』巻三三〇「中官」)
なんかかわいい話ですよね(笑)字字双(字がふたつある)っていう曲名は「斑復斑・殷復殷」などの「○復○」になるところからです。
七文字を四句って、七言絶句と同じっぽくみえてしまいますが、ふつうの詩ではまず用いられない句がでてくるのが詞のおもしろさです。
如夢令
つづいても、ちょっと変わった形の曲のご紹介です(この曲の由来になった作品をのせます)
桃源の深い洞にて宴をすれば、一曲ごとに鳳凰たちが舞いました。このときを忘れないようにしたいと思うと、門を出るときに涙が止まらないのです。夢のようで、夢のようで――、月が花にかかって薄く煙っておりました。
宴桃源深洞。一曲舞鸞歌鳳。長記欲別時、涙出門相送。如夢。如夢。残月落花煙重。(後唐・荘宗「如夢令」)
この曲はなんとも云えないかわいい曲なのです。わたしの好きなところは「如夢、如夢」の繰りかえしです。これが入ると、すごく素朴な情趣がでて楽しくなります(笑)あと、「令」は曲みたいな意味です(短い曲を「小令」といいます)
ちなみに、こちらの曲はけっこう名品が多いです。名品が出やすい曲は、盛り上がる場所がわかりやすいことが多いとおもいます。
その音は仙風のひらひらと舞うにも勝り、つやつや濡れて袖は口を隠し、その玉を連ねた一曲は、いと多情にして風趣高く、清妙――、清妙――。しばしの雲も留めけり。
ぶらんこが白塗りの壁のちかくでゆれまして。燕や鶯がちらちら飛ぶのがみえて、深い碧の中で啼きました。浪が遠くにいつしか流れていくようで――、春の光。春の光。きらきらとした翠ばかりなのです。
韻勝仙風縹緲。的皪嬌波宜笑。串玉一声歌、占断多情風調。清妙。清妙。留住飛雲多少。(辛棄疾「如夢令・贈歌者」)
秋千争鬧粉牆。間看燕紫鶯黄。啼到緑陰処、喚回浪子間忙。春光。春光。正是拾翠尋芳。(呉文英「如夢令」)
あえて南宋の人から選んでみましたが、どちらも素晴らしくないですか。6656226のなかで、最初の66はかなりしっかり書いて、つぎの56はやや落ちついた感じ、つぎの22はもっとも綺麗な雰囲気だけをいれて、ラストの6は余韻です。
このひらひらとゆれるような味わいが「如夢令」の魅力です。
あと、余談だけど、ここで紹介した二人は、南宋でかなり有名な作者です。辛棄疾(しんきしつ)は、感情のもっとも盛り上がった一点だけを切りだして描いたような感があります。こちらの作品も「一声(一曲ばかりの)」「多少(しばらくの)」などがわずかなひとときの風趣です。
呉文英は、かなり濃い色を重ねたような作風になります。こちらでも「白塗りのかべ(粉牆)」「紫のつばめと黄色いウグイス(燕紫鶯黄)」「暗い碧(緑陰)」みたいな色がたくさん入っています。
あと、「浪子間忙(波がぼんやりと忙しく過ぎていく)」みたいな、春のいつしか終わっていくのを波の中にいれて書いたりするのも呉文英っぽい雰囲気です。
念奴嬌
最後に長めの曲をひとつ紹介しておわります。この「念奴嬌(ねんどきょう)」という曲は、じつは傑作がかなりよく出るタイプの曲になります。
「念奴」は、唐の玄宗のときの妓女です。嬌は嬌声です(念奴の歌は、すごく人気だった)。もっとも、曲がつくられたのは北宋あたりとされています。
この曲は、100字くらいあって、かなり長い曲なのですが、この曲で詠まれた名品は、だいたい荒々しい情趣をおびています(もともとは妓楼っぽい曲だったのに、ちょっと意外です)
この曲は、かなり仄声(仄:そく。傾いたような音の字)が、それぞれの句の終わりにでてきます。しかも、そういう音で韻を踏むと、どこか抑えこまれて重く引きずって捻じれたような音がのこります。
なので、そういう音で、ちょっと荒々しい趣きを読むとすごく似合います。ここでは、あえて優美な内容でも、わずかに荒さが入ったような作品をのせてみます。
行き行きて止まってみれば、天地をすべて入れたような――、舟の窓からの景色なのです。星のごとくまばらに白い鳥が散っておりまして、わずかに遠い池などが澄んでおりました。
突き出た岸は波に洗われて、垣の根っこには葉がたまります。野の路は村のほうまで通じて、ひんやりとした風が吹けば、湿った衣に葦の匂いが混じります。
雪を押しのけて門はばさばさとしておりまして、そんな中に棋を打てば野はしんしんと冷えました。黄味をおびてほそい竹は雪を落とし、山の物の怪も驚くような日に――、こんなふうに棋をさすなど、晋人の風流も及ばないでしょう。
日が暮れて沙は暗く、天は赤く雲は濁り、垣根の外には花に翳る葦ばかりでした。またいつか、雪のふる烟水の上にてふたりでお会いしたいのです。
行行且止。把乾坤収入、篷窓深里。星散白鴎三四点、数筆横塘清意。
岸嘴冲波、籬根受葉、野径通村市。疏風迎面、湿衣原是空翠。
堪嘆敲雪門荒、争棋墅冷。苦竹鳴山鬼。縦使如今猶有晋、無復清游如此。
落日沙黄、遠天雲淡、弄影芦花外。幾時帰去、翦取一半烟水。(張炎「湘月」)
あえて四つに分けてかいてみました。45476・44546・64576・44546ですね(かなり複雑)
でも、まず、この曲は大きく四つにわかれています。そして、最初のひとつは大きく広く入って、つぎのひとつはやや繊細な風景をかいて、つぎのひとつはからからと枯れたような感じになって、最後のひとつでやや軽やかで流れるような感じになります。
長い曲のほうが、一曲のなかでの雰囲気が多彩ですよね。この盛り上がりのリズムがなんとなくできているので、それに似合う風景などを重ねていくと、すごく複雑な曲折のある作品になります(念奴嬌はしかも構成がきれいです……)
この分け方は、だいたい他の作者でもなんとなく通じる気がします。
宋詞の曲名
ところで、詞の曲名って、かなりいろいろなつけ方があります。
まず、古い詩の中から取ってきたもの(蝶恋花・玉楼春)などはすごく王道です。こういうのは短い曲に多いです。だいたい妓楼で弾かれていた曲などがこんな感じだとおもいます。
もしくは、さきほどの「如夢令」「字字双」などのように特別な由来のある曲では、その歌詞の特徴などが名前になります。
また宋代に入ってつくられた長い曲では、さっきの「念奴嬌」などがあります。そして、「念奴嬌」を移調したのが、さきほどのせた「湘月」です(なので、キーが違うだけで、同じ曲になります)
あと、詞をつくる人が、みずから曲もつくることがありました。とくに周邦彦・姜夔(いずれも有名な詞の作者)は自作の曲がたくさんあります。
周邦彦は「六醜」という曲があります。この曲は六つの調を行き来して、その音が複雑優美にして幻想的であやしく響いているため「六つの醜(異様さ)」という名前になりました。
姜夔にもたくさん自作の曲はあるのですが、ここでは「徴招」というのを紹介します。徴は音階の名前です。「招」は韶(しょう。雅楽のこと)です。
ある音階をもちいた宮中の儀礼用の曲をきいたときに、ちょっと別の曲とつなぎあわせるアレンジを思いついたので作ってみました――というのが「徴招」なので、しいて訳すと「徴音階の雅楽の変奏曲」みたいな意味です(「C#mの儀礼曲のアレンジ」みたいな雰囲気です笑)
ちなみに、曲名でも「慢」は長い曲、「犯」は転調をふくむ曲……みたいな用語があります。
というわけで、宋詞の曲についてたくさん書いてみました。マニア向けすぎてたぶん需要ない記事なのですが、わたしの好きな話だったので楽しかったです。お読みいただきありがとうございました。