「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。
こちらの記事では、蘇軾の隠れた名品をいくつか紹介してみたいとおもいます。すでに蘇軾についての記事はかいたのですが、解説をしてしまうと作品があまりのせられなかったので、こちらの記事では、わたしの好きな作品の紹介をしていきます。
あと、蘇軾はやっぱり楽しい作品が多いので、するっと読めて、それでいて味わいもあるものを選んでみました。
ちなみに、蘇軾の魅力などについては、こちらで解説しています。

おみくじの話
まずひとつめは、蘇軾がおみくじを引いた話です。おみくじって、和歌や漢詩が書いてありますが、あれはじつは北宋のころからあったらしいです。
沖妙先生がつくった「観妙法象」というおみくじがあり、わたしは不安に覆われていたときに、心を落ち着かせてから、俗縁の多くして、人生のうまく行かないことを相談するつもりで、そのくじを引いてみた。
すると呉真君の三番がでて、「いつもの日々に凶事もなく、善をみるのは楽しいこと。心はすでに堅固にして、善をみて学を修める」とあった。ありがたくその教えをうけて、『荘子』養生主のところを書き写して、みずからの中で忘れないようにしておいたところ、この効果はあった。
紹聖元年になって、わたしは南方の地に流罪になって、今後のことを恐れていたが、王嵓翁といっしょに祥符宮に詣でたときにまた観妙法象をひいてみたら、同じく呉真君の三番がでた。
沖妙先生季君思聡所製観妙法象、居士以憂患之餘、稽首洗心、……自惟塵縁深重、恐此志未遂、敢以籤卜、得呉真君第三籤、云「平生常無患、見善其何楽。執心既堅固、見善勤修学。」敬再拝受教、書『荘子』養生一篇、致自厲之意、不敢廢墜、真聖験之。紹聖元年八月二十一日、東坡居士南遷過虔、與王嵓翁同謁祥符宮、……観之妙象、実同此言。(蘇軾「記真君籤」)
道教の寺院で、おみくじを引いてみたら、また同じ結果がでて、きっと呉真君に守ってもらってここまで生きてきたのだから、これからも守ってもらえるのだろう――という話です。(真君は、道教の神さまの称号です)
『荘子』養生主篇は、生きて身を全うすることの大切さが書かれているところです。あと、個人的に好きなのは、おみくじや寺院の名前がでてくるところがすごくローカルで味わい深いです。
金剛経の人
こちらもちょっと(すごく)不思議な話です。
近ごろ銀の鉱脈をさがして山の穴にはいった人が、その中で経を読む声がきこえたので、壁を壊してみると、中からひとりの人がでてきた。
その人は「わたしも鉱脈をさがしに入ったのですが、壁がくずれて出られなくなってしまいました。ここに何年いたかわかりませんが、いつも『金剛経』を唱えていたのでそれを暗記しており、空腹になると、わきの下から小麦粉をねったものなどが出てくるのです」といっていた。
これはきっと金剛経が姿をかえて助けてくれたのだろう。道教では「一を守る」という行があり、空腹になると“一”が食べ物をくれるというが、この人は金剛経がそれをしてくれたのだろう。
近歲有人鑿山取銀礦至深処、聞有人誦経声。發之、得一人、云「吾亦取礦者、以窟壊不能出、居此不知幾年。平生誦『金剛経』自随、每有飢渴之念、即若有人自腋下以餅餌遺之。」殆此経変現也。道家言「守一」、若飢、一與之糧。……此人於経中、豈所謂得一者乎。(蘇軾「誦金剛経帖」)
怪しい……、怪しすぎます(笑)
「一」というのは、たぶん体内にいる神みたいなものだとおもいます。この「一」をひたすら乱さずにいることができれば……というのが「守一」の行です。
この人の場合は、乱されない一つのものが金剛経だった、という感じです。実際の様子を想像すると、いろいろシュールですが(笑)
天の硯
ちょっと変わった話がつづいたので、ややまじめな作品ものせていきます。
わたしが十二才のころ、家のちかくの紗縠通りの路地にて、他の子たちと地面をほって遊んでいたら、めずらしい石がでてきて、魚のようで、しっとりと温かく、薄いみどり色をおびていた。その表面には星のように銀色の粉がついたようで、こんこんときれいな音がした。
ためしに墨をすってみると、すごくよく擦れるのだが、水をためるところがなかった。わたしの父は「これは天の硯だ。硯の徳はあっても、硯の形になっていないのだ」といって、それを私にくれて、文章のうまくなるお守りにせよというので、わたしも大切にしていた。
私はその石を讃える文をつくって「一たび形を得れば、そのまま生きていく中で、あるものは内の德を得て、あるものは外の形を得る。この二つのうちで、私はどちらを取るのだろうか。あちこちに目移りしてしまう人が多い中で――。」
軾年十二時、於所居紗縠行宅隙地中、與群児鑿地為戯。得異石、如魚、膚温瑩、作浅碧色。表裏皆細銀星、扣之鏗然。試以為硯、甚發墨、顧無貯水処。先君曰「是天硯也。有硯之德、而不足於形耳。」因以賜軾、曰「是文字之祥也。」軾宝而用之、且為銘曰「一受其成、而不可更。或主於德、或全於形。均是二者、顧予安取。仰唇俯足、世固多有。」(蘇軾「天石硯銘」)
天の硯、いいですよね(笑)蘇軾のこういう感性って、蘇洵(そじゅん。蘇軾の父)がつくったのかも……と思ってしまいます。地面を掘ってあそぶ……というのもいいですよね(穴を掘ることって、なぜか楽しくないですか笑。)
天涯何処無芳草
ここまでふつうの文がつづいていたので、つぎは詞をいってみます。
花も褪せて杏の青もまだ小さいころ、燕は飛んで、とろとろと春の水は家を囲み、枝の上には柳のわたげも少なくなってくるのですが、どこをみても春の草は碧なのでした。 塀のうちのぶらんこと、塀の外の道があり、塀の外を行くひとは、塀のうちに笑う人の声をきいて、その声がしだいに聞こえなくなるので、多情のひとは無情なひとにかえって心を乱されるのです。
花褪殘紅青杏小。燕子飛時、緑水人家繞。枝上柳綿吹又少。天涯何処無芳草。 牆裡鞦韆牆外道。牆外行人、牆裡佳人笑。笑漸不聞声漸悄。多情却被無情悩。(蘇軾「蝶恋花・花褪残紅青杏小」)
つやつやの春の景色です。とくに印象的なのは、原文の「天涯何処無芳草」です。天涯のどこにいっても、心を悩ませるほど明るくてきれいな春の草があるのでした――という意味です。
ちなみに、これは現代の中国語でも、慣用句として用いられているのですが、意味は「天涯のどこにいっても春の美しい草はあるのだから、ここに拘らなくてもいいだろう」になっています。
でも、こちらの誤用verのほうが、ある意味で蘇軾っぽいかなぁ……と思います。蘇軾って、どんなときでも楽しむことを忘れない感じがします(笑)
あと、中国では春の時期には、行事としてのぶらんこ遊びがあります(ぶらんこは「鞦韆」とかきます。読み方は「しゅうせん」)。中国にぶらんこってあるんだ……と驚いたのですが、木の枝などにつりさげていたらしいです。
夢の宮中
最後はちょっと短い詩をのせてみます。
私がはじめて科挙のために都にいったとき、長安の華清宮のそばを通り、夢で皇帝が太真妃(楊貴妃)の帯を詠んだ詩をつくらせた。そのときの詩は「百重のさらさらとした波が立って、わずかにひらひらとして軽く、するりと広い殿にて風をふくめば、遠くに玉の揺れる音がするのです――」
軾初自蜀應挙京師、道過華清宮、夢明皇令賦太真妃裙帯詞、覚而記之。……「百畳漪漪水皺、六銖縰縰雲軽。植立含風廣殿、微聞環佩揺声。」元豊五年十月七日。(蘇軾「記夢賦詩」)
科挙では詩をつくる試験が行われるので、たぶんそのつながりだとおもいます。華清宮は長安にあった唐代の宮殿で、太真妃は楊貴妃のことです。楊貴妃の帯を詠む――というのもすごくふしぎなお題です。
ちなみに、この話には、実はつづきがあります。
わたしが杭州の副官になっていたとき、夢で神宗皇帝がわたしを宮中によび、宮女たちが皇帝のまわりにいて、ひとりの紅い衣の幼い宮女が靴をひとつもってきた。神宗皇帝はわたしにその靴を詠むようにいった。
私は「後宮の隅でつむがれた糸は、ちびりちびりと積もっていって、御前に舞いては、雲をおびて雷のごとく流れけり」と詠んだのを覚えていた。
そして宮女たちの舞いも終わり、陛下はそのひらひらと速いことに感嘆して、宮女たちを送り出した。私はその帯の間に一つの詩があるのをみて、そこには「百重のさらさらした波、わずかばかりにひらひらとして軽く、するりと風を含みて広い殿に立てば、遠くに玉の揺れる音――」とあった。
軾倅武林日、夢神宗召入禁中、宮女囲侍、一紅衣女童捧紅靴一隻、命軾銘之。覚而記其一聯云「寒女之絲、銖積寸累。天歩所臨、雲蒸雷起。」既畢進御、上極歎其敏、使宮女送出。睇眎裙帯間有六言詩一首、云「百畳漪漪風皺、六銖縰縰雲軽。植立含風廣殿、微聞環佩揺声。」(蘇軾「夢中作靴銘」)
……つながってないようで、どこかでつながっている不思議な世界です。あまり解説しすぎるのもくどいので、なんとなく不思議だなぁ……くらいでいいと思います(夢の話なので)
というわけで、いくつか蘇軾のあまり有名でない名品をのせてみましたが、ほどよく楽しんでいただけたら嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。