宋詞について

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 こちらの記事では、宋代の詞(宋詞)についてご紹介してみたいと思います。わたしは、六朝末期が専門でしたが、宋詞も勝手に読みまくっていました(笑)

 詞は、詩とはちょっとちがいます。まず、詩は一句が五文字――みたいに字数がきまっていますが、詞は74577みたいな不規則になります。

 あと、もともとは曲の歌詞だったので、同じ曲にいろいろな歌詞をつけるようにつくる――というものでした(妓楼の曲が多いです)

 そして、描かれる内容は、どちらかというと繊細な雰囲気のものが多いです(もっとも、北宋のおわりくらいから、何でもOKになっていきます笑)。時期としては、だいたい唐の中ごろくらいから作られてきて、宋代にすごく流行り、元代になるとしだいに衰えていきます。

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 というわけで、有名な作者とあわせて、だいたいの流れをお伝えしてみたいとおもいます。

唐のおわり~五代十国

 まず、詞の作者ではじめにみておきたいのは、唐の終わりごろの温庭筠(筠:いん)です(こちらの作品は、「荷葉杯」というのが曲名になります。詞は題名がないことも多いです)

楚女は南の水辺に帰っていくときに、朝には雨がふっていて、花はさびしげに濡れている。 小さい舟は揺れながら波をわけて花のうちに入るので、波が起きて、西風がどこかで鳴ります。

楚女欲帰南浦、朝雨、湿愁紅。 小船揺漾入花裏、波起、隔西風。(温庭筠「荷葉杯」)

 なんていうか、ちょっと大正ロマンな香りがします。すごく描写が細密で、「愁紅(愁いをおびた紅い花)」みたいな、ちょっと抒情的な字選びがいかにもそれっぽいです。

 ちなみに、この詞は、前半と後半でわかれています(引用するときは、間にながい空白をいれてました)。そして、前後で同じかたちを繰り返しています。こんな感じで、曲のかたちがなんとなくみえるようになっています(前半と後半がわかれないタイプor三部構成の曲もあります)

 温庭筠の作風は、唐がほろんだ後(五代十国のとき)も、四川省のほうにあった小さい国ですごく人気になっていきます。このしっとりと濃やかな描写がすごく魅力的です。

 一方で、長江中流あたりでは、もうちょっと淡い色彩の詞がつくられていました。

幾度の鳳楼での宴、今日逢うことは、いままでよりも嬉しく思うのに、この前のことを話したいのに顔をそむけて、眉はあわい春の緑をひそめるのです。 蠟の涙はとろとろ流れて笛の音がさびしいので、衣を整えて唄いたいとおもっても、もう何かめんどくさい気もして、あとひと飲みしたら、なんか心が砕けそうなのです

幾度鳳楼同飲宴、此夕相逢、却勝當時見。低語前歓頻轉面、雙眉斂恨春山遠。 蠟燭涙流羌笛怨、偷整羅衣、欲唱情猶嬾。醉裏不辞金爵満、陽関一曲腸千断。(南唐・馮延巳「蝶恋花」)

 この溢れる感情を無理やり内にとどめているような味わいが、馮延巳(ふうえんし)という人の魅力です。温庭筠が濃い色だとしたら、馮延巳はちょっと薄いパステルカラーで、感情の曲折がすごいです。

 こんな感じで、唐のおわり~五代十国あたりの詞はつくられていきます。

宋の初期

 つづいては、宋の初期です。

 この時期は、どちらかというと唐の終わり~五代十国の雰囲気にちかいとおもいます。みじかい曲がメインで、風景もおだやかで繊細な感じだとおもってください。

 ここでは、晏幾道(あんきどう)の作品をみてみます。

碧の水は青い波をおびて、水の上には朱い欄の橋がある。橋の上に笑う娘は、ひとりもたれて――、欄の上で柳の枝をいじっている。 月が出て花は夜のうちに落ちて、玉簫でいろいろと曲を練りあわせていれば、柳の外に行く人はふりかえると、きらきらとして、――天の星はどこまでも道を照らしているのでしょう。

渌水帯青潮。水上朱闌小渡橋。橋上女儿双笑靨、妖嬈。倚著欄干弄柳条。 月夜落花朝。减字偷声按玉簫。柳外行人回首処、迢迢。若比銀河路更遥。(晏幾道「南郷子」)

 なんとなく宋の初期のほうが、色がたくさんでてくるイメージはあるけど、なんとなく雰囲気は似ていますよね。こんな感じで、いい意味で“作風の個性が小さい”というのが、この時期までの詞だったりします(でも、妓楼の音楽っぽくて、これはこれでいいと思います)

 ほかの作者では、欧陽修・晏殊などがいます。

多彩な詞の名家

 もっとも、これだけだとちょっと魅力の幅が狭い文学になってしまいますが、ここで詞を一気に豊かなものにしていく三人がでてきます。

 それが、北宋の蘇軾・周邦彦、南宋の姜夔です。

 蘇軾はなんとなく知っている方も多いかもですが、周邦彦(しゅうほうげん)・姜夔(きょうき)って、ほとんど聞いたこともないですよね……。

 この三人の特徴は、とにかく個性が豊か、です。

 そして、題材も技法も、この三人がかなり大きく開拓したので、いままでの小さいけど優美な味わいだった詞は、なんでも書けるし、すごく複雑な技巧を詰めこむものになっていきます。

 あと、北宋の中ごろくらいから、短い曲もありましたが、しだいに長い曲をつくるようになっていきます。そして、南宋になってくると、長い曲のほうが多くつくられるようになっていきます。

 もっとも、この三人はそれぞれ個性が豊かすぎて、この記事には収まらないので、それぞれ解説することにしました。

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 すごく簡単にまとめてしまうと、蘇軾はからりと大きい夜の長江の上に、どこまでもつづいている月の色が照らしているような感じ、周邦彦は綺麗に飾られた楼閣で、宴をして梅の花をながめながら、ちょっとさびしさが思い出されるような感じです。

 あと、姜夔はひんやりとした梅の多い庭園を、ひとりで傘をさして歩けば、遠くからひそかに笛の音が聞こえてくるような感じだとおもいます(笑)

 というわけで、こちらの記事では、あえてあまり有名でない作品を紹介してみます。

宋代の隠れ名品

 いくつか好きな作品をまとめてみましたので、どれか一つでも気に入っていただけたら嬉しいです(作風や時代も偏らないようにしています)

萋々とした草がひろがって懐かしい人のことを思えば、柳のさきを楼よりみながら心の散っていく心地して、初夏の鳥の声がさびしく、日が暮れると、雨は梨の花を濡らして門はひっそりと閉じられたままでした

萋萋芳草憶王孫。柳外楼高空断魂。杜宇声声不忍聞。欲黄昏。雨打梨花深閉門。(李重元「憶王孫」)

 もはや大正時代の詩とかにありそうですよね(笑)こういう感じで、やわらかい情趣を詠んだような作品を「婉約派」といいます(約は「ほのめかす」)

芭蕉の紅い葉には碧がさして影は乱れ、月は朱い欄の上にのぼれば、風は澄んだ空から吹いて、ひとつの串を落とすのです。――見えず、見えず。その人は紅い簾に隠されていきました

翠擘紅蕉影乱。月上朱欄一半。風自碧空来、吹落歌珠一串。不見。不見。人被綉簾遮断。(孫道絢「如夢令・宮詞」)

 こちらもすごく魅力的な場面です。秋の芭蕉が破れつつあって、その中にまだ若い葉ものぞいているときに、宮中の欄干には玉飾りのついた櫛がひとつ落ちていました――。その櫛の持ち主は、簾の奥に入っていきました――という、もはや王朝物語っぽい風景です。

洞庭湖の波さえて、氷のごとき月のようやく沈み、蒼海の沈んだような色の中、巻くごとき雲は月の色をおびて、笛が何処からか夜の闇を揺らすのです。
荒れる波の江 合わさりて、銀の濤は果てもなくつづき、遠く五湖の色すらみえるような気がしました。酒の醒めて歌の終わり、水中の龍が今ごろは吼える頃でしょう。

遠くをみながら日頃のことを思い遣るに、その身のひとえに散りやすく、楽しみも得難いのですから、今日の縹緲たる高城にて露の色を眺めながら、いつまでも欄の上にいたのです。
また酒を傾ける頃には、きっと月の神も笑う頃でしょうが、それでもいつもの心が消えないので、広い宮殿は冷たい木々の色を借しているようなのです。

洞庭波冷、望冰輪初轉、蒼海沈沈。万頃孤光雲陣巻、長笛吹破層陰。汹涌三江、銀涛無際、遥帯五湖深。酒闌歌罷、至今鼉怒龍吟。 回首江海平生、漂流容易散、佳期難尋。縹緲高城風露爽、独倚危檻重臨。醉倒清尊、姮娥応笑、猶有向来心。広寒宮殿、為予聊借瓊林。(葉夢得「念奴嬌・中秋宴客有懐壬午歳呉江長橋」)

 こちらはちょっと雰囲気のちがう作品を選んでみました。こんな感じで、ちょっと荒々しい風趣を詠んでいく作風を「豪放派」といいます(もっとも、その両方を兼ねている人もいます)

 あと、詞でよく出てくる表現として「鼉怒龍吟(水中の龍が吼える)」だったり、「広寒宮殿、為予聊借瓊林(冷たい天宮は、わたしのために玉の如く白い木々をみせてくれたのだろうか)」みたいに、実際の風景と想像がまざったような感じにするのが多いです。まるで水龍の踊る頃――みたいな。

 もうひとつ長いものをのせてみます。

華の仙は連れだって舟遊びして、その肌は波の冷たさに怯え、霜の裳裾を彩る夜には、氷の壺は凝ったようで、塵のひとつもありませんでした。玉の花びらは軽くして、ひらひらと散っていきますから、鏡に臨んで粉を帯びれば、いよいよ白くあでやかでしょう。一片の雲のかかって、その白さを蔽えば、さらに影だけのぞくのです。

菱の間に歌いて、小さきひとの舟に乗りて、蓮の茎の絡むので、雪のうちの鴎や沙の鷺が来れば、夜にはともに寝て、朝にはその寒さに驚くでしょう。酒もなくなって、帯びた粉もわずかに湿り、蓮の色はいよいよ青く白いのでした。この花はきっと、瑶の池にて植えられて、白い蓮ばかりが咲くのでしょう。

蕊仙群擁宸游、素肌似怯波心冷。霜裳縞夜、冰壺凝露、紅塵洗尽。弄玉軽盈、飛瓊綽約、淡妝臨鏡。更多情、一片碧雲不捲、籠嬌面、回清影。 菱唱数声乍聴。載名娃、藕絲縈艇。雪鴎沙鷺、夜来同夢、暁風吹醒。酒暈全消、粉痕微漬、色明香瑩。問此花、蓋貯瑶池、応未許、繁紅并。(李居仁「水龍吟・浮翠山房擬賦白蓮」)

 こちらは、南宋末期の文人たちが、みんなで浮翠山房というところに集まって、白い蓮を詠んでみる……というときにつくられたものです。もはや技巧的すぎて鑑賞が追いつかないです。

 しいていうなら、白い蓮をあるときは「霜裳縞夜(霜に彩られた白い裳裾)」、あるときは「一片碧雲不捲、籠嬌面、回清影(淡い水面の霧や雲におおわれて、顔をかくして影だけみえる様子)」、あるときは「粉痕微漬(どこか滲んだ白粉の色)」みたいに、いろいろな形にたとえていくのがきれいです。

 しかも、あるときは華の仙として白蓮だけで遊んでいたり、あるときは“小さきひと”のようになって一緒に舟に乗るような心地がしたり……というふうに、白い蓮を遠くからor近くからみている感じを、それぞれ喩えているのもすごいです(これは洗練されすぎです)

 こんなふうに、南宋末期は、すごく複雑な技巧がもちいられるようになっていきます。たぶん、中国文学でもっとも優美で洗練されていたのは、詞だったのかも……と私は思っています。

 というわけで、詞の魅力を少しでも感じていただけたら嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。

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ぬぃ
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