先秦

宋玉  淫麗優美な美文家

「ぬぃの中国文学ノート」にご来訪ありがとうございます。

 こちらの記事では、楚辞の作者のひとりとされている宋玉について、すごく簡単にではありますが、魅力を伝えてみたいとおもっています。

 宋玉は、戦国末期の楚の人で、楚辞(戦国時代の楚でつくられていた独特の句形をもつ詩。土着の植物や神々がたくさん出てくる)をつくったり、さらには楚辞から生まれた賦(楚辞の句形をつかって、楚の風物や神々以外のものを詠む)をつくったりしています。

 そして、宋玉は、それまでの作品とちがって、さらさらと流れるようになめらかな雰囲気があります。

 このするするさらさらと優美な質感は、宋玉の最大の魅力だとおもっているので、この記事では、それが感じられるところをいくつか紹介してみます。

Contents
  1. 神女賦
  2. 九辯

神女賦

 まずは、巫山(楚の洞庭湖ちかくにあった山)の神女のことをえがいた「神女賦」という作品をみてみます。句形は楚辞そのままですが、すごく色彩が濃くなって、人工の趣きが入っています。

かの神女の姣麗(うねうねと美しく)、陰陽変幻するきらびやかな飾りをまとう。
華色のひらひらとした衣を重ね、その姿は翡翠(かわせみ)の羽を奮わせるに似て、その貌(かお)は豊盈(ふっくら)として荘姝(きちんと整え)られ、温潤な玉顔をつつんでいる。その眸(め)は炯々(きらきら)として澄んでいて、まなざしは美しくきらきらとして、その眉は聯娟(するり)と曲がって細く高く、朱脣は丹(赤い色)を塗ったごとし。
既に姽嫿(かがみこん)で幽静(暗がり)より出でて、さらに人の間にひらひらと踊る。

夫何神女之姣麗兮、含陰陽之渥飾。被華藻之可好兮、若翡翠之奮翼。……貌豊盈以荘姝兮、苞温潤之玉顔。……眸子炯其精朗兮、瞭多美而可観。眉聯娟以蛾揚兮、朱脣的其若丹。……既姽嫿於幽静兮、又婆娑乎人間。

 このきらきらと極彩色の濃色メイクにつつまれたような感じが、宋玉の文体です。すでに楚辞には「緑葉兮紫茎(緑の葉とむらさきの茎)」のような色彩ゆたかな表現はあったのですが、宋玉ははるかにむずかしい字をもちいて人工的な色を感じさせます(一方で、それまでは植物の色などが多いです)

 そして、神女の様子を描くときも、すこしずつ細部をみせていくような、似たような色がつづきながら、ちょっとずつ形が変わっていくようなゆるやかな形になっています。(楚辞の九歌をみてみると、かなりあちこちに飛躍しながら跳ねまわるような流れといいますか……)

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 ちなみに、ちょっと細かい話をすると、「被華藻之可好兮、若翡翠之奮翼(華色のひらひらとした衣を重ね、その姿はカワセミの羽を奮わせるに似て……)」という句は、上のリンク先にある「山鬼」という作品の「被薜荔兮帯女蘿(薜荔を着て女蘿の帯をして)」というのに似ています(薜荔・女蘿は蔓草です)

 ですが、宋玉は「華(花)」や「翡翠(カワセミ)」という語を入れてはいますが、それでも比喩としてカワセミっぽい色・華のような模様――のような感じになっています。一方の山鬼は、完全に植物を着ているとおもえてきます。

 こんな感じで、楚の土着の風物をえがくときの表現を借りながら、しだいに土着色がなくなって、人工的な美しさになっていくのが賦の特徴です。

九辯

 もうひとつ、宋玉の作とされるものを、楚辞の中から選んでみます。これは「九辯(きゅうべん)」という作品で、全体が九つにわかれているのですが、ここではその第二部をのせてみます。

皇天は四時(四季)を平らに分けたはずなのに、わたしは何故かこの廩秋(冷たい秋)が悲しいのです。白露の既に百草に下りて、たちまちにして梧楸の木をひらひらと萎れさせる。
白日の昭々(あかあか)としたのを去り、長夜の悠々たるがやって来て、芳草のさかんに茂っているのを離れて、わたしも萎約(しおしお)として愁い哀しむ。

秋は既に白露を先に送りて、冬はさらに厳霜を送ってくる。初夏の恢台(もやもやと大きく茂る)のを収めて、欿傺(がたり)と落ち込んで沈み蔵される。葉は菸邑(およおよ)として色も無くなり、枝は煩挐(がさがさ)として横に茂っており、顏色も淫溢(どんより)として枯れていくようで、柯(枝)も彷彿(ぼそぼそ)として萎え黄ばんでいく。萷(梢)も櫹槮(ぱきぱき)として哀しむべく、姿も銷鑠(さらさらと散)って瘀傷(傷つき痛んで)いく。

皇天平分四時兮、竊独悲此廩秋。白露既下百草兮、奄離披此梧楸。去白日之昭昭兮、襲長夜之悠悠。離芳藹之方壮兮、余萎約而悲愁。秋既先戒以白露兮、冬又申之以厳霜。収恢台之孟夏兮、然欿傺而沈蔵。葉菸邑而無色兮、枝煩挐而交横。顏淫溢而将罷兮、柯彷彿而萎黄。萷櫹槮之可哀兮、形銷鑠而瘀傷。

 ……すごく美しくないですか(笑)

 まず、鑑賞ポイントとしては、擬態語の文字づかいが非常に豊かなところです。たとえば九歌のときは「颯颯」「蕭蕭」などのように同じ字を繰り返すことが多かった擬態語ですが、宋玉は「櫹槮(しょうしん)」のように、木が蕭々として細く延びている様子(参:ほそく高くのびる)みたいに、複雑なニュアンスを入れています。

 あと、「萎約(いやく)」「萎黄(いおう)」などのように、「しぼむ(萎)」という字を何度も出しながら、約(縮む)だったり黄色くなるなどの微妙なニュアンスを変えているのがわかります。

 枝のことを書くときも「煩挐而交横(がさがさとして横に茂る)・彷彿而萎黄(ぼさぼさとして黄ばんでいく)・櫹槮之可哀(ぱきぱきとして物悲しく)」などのように、ちょっとずつ表情を変えて飽きないようにしていきます。

 こんな感じで、自然の風景を描いているけど、その文字選びなどはけっこう人工的に練り上げた字などを入れていたり、その趣きを少しずつ滑らかにずらしていく雰囲気が、宋玉の作風の魅力になります。

 これは「雷は填々(どろどろ)、雨は冥々(ぼんやり)、猿は啾々(ヒィヒィ)……風は颯々(さらさら)、木々も蕭々(ぞよぞよ)」というような「山鬼(九歌の一つです)」とくらべても、相当複雑で微細なものになっているのが感じられます。

 こんな感じで、宋玉は楚辞っぽい植物や神々のことを描きながらも、しだいに人工的な表現が増えてきているときの作者です。そして、宋玉の路線は、漢代に入ると、さらに人工度を増して「漢賦」になっていきます(漢賦についてはこちら)

 ちなみに、わたしは、宋玉も九歌と一緒に最初に好きになった作者なので、このきらびやかでするすると流麗な雰囲気が、少しでも感じていただけけていたら嬉しいです。こういう奇怪な字を多用する文章っていいいですよね(笑)

 お読みいただきありがとうございました。

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ぬぃ
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